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2014年05月30日

和泉式部・恋の遍歴

和泉式部・恋の遍歴

 年齢順に清少納言・和泉式部・紫式部。清少納言を酷評した「紫式部日記」は、和泉式部についても手厳しい。「歌の方は、そこそこだけど、あまり知的じゃないようね。それに、あの異性関係はどうもね」といった具合。数少ない経験を醸成させ、妄想をめぐらせる紫式部。和泉式部の華々しい恋の遍歴には、心穏やかならず。

和泉式部・恋の遍歴

 橘道貞(タチバナノミチサダ)と最初の結婚をする。彼が和泉国に赴任したことから、「和泉式部」と呼ばれる。この時に生まれた娘が小式部内侍(百人一首60番)。恋愛伝説は、ここからスタート。
 冷泉院の第三皇子・為尊(タメタカ)親王が、夫も子もある和泉式部にアタック。美男子で遊び人である天皇の息子との破滅的な恋。しかし、為尊親王は若くして亡くなる。
 その一年後。今度は弟である敦道(アツミチ)親王が、言い寄ってきた。ダブル不倫。彼の妻は怒って家を出てしまう。敦道は渡りに船と、和泉式部を家に入れてしまう。結局、和泉式部も夫・道貞と離婚。
 この恋がどのように終ったのか、やがて彼女は実家に戻り、中宮彰子の女房として出仕する。

和泉式部・恋の遍歴

 10月朧月の夜に一人で笛を吹いて道を行く者があった。それを見つけた袴垂という盗賊の首領が衣装を奪おうとその者の後をつけたが、どうにも恐ろしく手を出すことができなかった。その者は逆に袴垂を自らの家に連れ込んで衣を与えたところ、袴垂は慌てて逃げ帰ったという。
 武勇で名をはせたその者の名は藤原保昌(ヤスマサ) 。和泉式部に紫宸殿の梅を手折って欲しいと請われ、警護の北面武士に矢を射掛けられながらも見事に紅梅をゲット。京都祇園祭の「保昌山」のモチーフにもなっている。
 式部はこの藤原保昌と再婚し、夫の任国・丹後に下った。娘・小式部内侍の「大江山 いく野の道の 遠ければ」の歌はこの時のもの。しかし、この娘も若くして先立ってしまう。娘を亡くした式部の愛傷歌は胸を打つものがある。
 この恋多き女性、晩年の動静は不明である。