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2014年04月21日

卑弥呼in近江?

卑弥呼in近江?

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邪馬台国近江説の引き金となったのが、守山市伊勢遺跡。弥生時代後期の集落としては、佐賀県吉野ヶ里遺跡に匹敵する国内最大級の遺跡である。1981年、宅地造成工事に先立つ試掘調査によって発見。遺跡の中に、直径約220mの円を描くように配置された約30棟の建物跡があり、その円の内側には楼閣、祭殿などがあったようだ。確かに卑弥呼を思い浮かべてしまう。現在は、ご覧のような状態。「魏志倭人伝」を引用し、「邪馬台国」の存在を知っていたはずの「日本書紀」。それなのになぜか「邪馬台国」については一言も言及されていない。纏向遺跡に見られるように、大きな権力が大和に存在したことは間違いない。しかし、邪馬台国とヤマト王権が連続していたかどうかは不明である。たとえ邪馬台国が九州の地方政権であってもおかしくはない。では、近江説はどうか? とりあえずは大いにPRし、しっかりと遺跡保存をやってほしい。
卑弥呼in近江?

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