
2017年09月01日
1万5千発の想像力

ビキニ環礁。1946年からアメリカ合衆国による合計23回の核実験が行われた。1954年3月1日、ブラボー水爆実験。危険水域を誤って狭く設定してしまったため、結果として放射性降下物(死の灰)が近隣海域で操業していた漁船やロンゲラップ環礁にまで降り積もった。この死の灰を浴びた漁船「第五福竜丸」。ブラボー水爆実験から半年後、久保山愛吉無線長は被曝のため40歳で死去。「原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい」
全世界で今日までに行われた核実験は合計2057回。8位 パキスタン 2回。7位 インド 3回。6位 北朝鮮 5回。5位 イギリス 45回。4位 中国 45回。3位 フランス 210回。2位 ソ連 715回。1位 アメリカ 1032回。
特に悪質なのは、1980年まで普通におこなわれていた大気圏内核実験。当然、死の灰や黒い雨が地上や海に降り注ぐ。大気圏内核実験をおこなって地球規模の放射能汚染を振りまいた国は五つ。アメリカ、ソ連、フランス、中国、イギリス。つまり国連の安全保障理事会の常任理事国5カ国。
冷戦終結後減少したとはいえ、2017年現在、推計1万5千発もの核弾頭が存在している。保有している国は9カ国。軍事機密のため、あくまで推定だが、ストックホルム国際平和研究所SIPRIによる核弾頭数を見てみよう。
第9位 北朝鮮 10発
4度の核実験を経て、現在も核開発計画は進行中。すでにプルトニウムを用いた核兵器を保有。ミサイルに載せやすくするための小型化の技術なども進んでいる。
第8位 イスラエル 80発
四国ほどの小さな国土のイスラエル。手の内を明かしていないが、核兵器の保有は公然の事実として国際社会から認識されている。
第7位 インド 120発
インドは国際的な核不拡散の枠組みに反対する立場を続け、1974年に最初の核実験を実施。南アジア地域における中国との国境紛争、隣国パキスタンとの緊張関係などの火種を抱えている。
第6位 パキスタン 130発
ヒンドゥー教国家のインドからイスラム教地域が独立する形で誕生したパキスタン。1998年5月にインドが核実験を行った際には、パキスタンもそれに呼応する形で核実験を繰り返した。
第5位 イギリス 215発
アメリカの技術協力の下で核開発を進めた。主にオーストラリアの核実験場で実験を行い、1952年に核保有国となった。
第4位 中国 260発
1964年に核兵器を開発。それ以降、新疆ウイグル自治区にあるロプノールで45回の核実験を実施。
第3位 フランス 300発
1960年代になって核開発を行った。大気圏内での核実験を禁じた条約ができた後も、フランスは条約に入ることなく大気圏内での核実験を行い続けた。1996年にすべての核爆発実験を禁止する条約ができる直前に駆け込みで核実験を行い、国際社会から大きな非難を受けた。
第2位 アメリカ 7000発
人類が初めて手にした核兵器はこの国で作り出された。1945年7月、人類史上最初の核実験がニューメキシコ州の実験場で実施。ウランを用いた原爆は広島で、プルトニウムを用いた原爆は長崎で実験投下された。
米ソ冷戦の中で熾烈な核軍拡競争が進み、最盛期には米国が約31,000発(1967年)、ソ連が約45,000発(1986年)もの核弾頭を保有するに至った。
第1位 ロシア 7300発
アメリカの後を追い1949年に核実験を成功。1950年代前半には核融合反応を用いた水素爆弾を開発。広島に落とされた原爆で3800個分を一度に爆発させたのと同じ威力を持つ人類史上最大の核爆弾。
"One murder makes a villain; millions a hero. "「一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む」
(チャップリン「殺人狂時代」)
2017年08月15日
私もそうかもしれない

東欧地域・数百万人のユダヤ人を絶滅収容所に送った責任者アドルフ・アイヒマン。ドイツ敗戦後、南米アルゼンチンに逃亡。リカルド・クレメントの偽名を名乗り、自動車工場主任としてひっそり暮らしていた。彼を追跡するイスラエル諜報機関は、クレメントが大物戦犯アイヒマンであると判断した。直接の契機は、クレメントが花屋で妻に贈る花束を購入したこと。その日付はアイヒマン夫婦の結婚記念日と一致。イスラエルにおけるアイヒマン裁判。この過程で描き出されたアイヒマンの人間像は、職務に励む平凡で小心な公務員の姿に過ぎなかった。巨大なメカニズムの中、当たり前の人間が当たり前の心を失っていく。
2017年07月31日
五輪という病

過剰な同調圧力社会。「私は違う」。小さな声でも、そう叫べる社会であってほしい。「民主主義」とは、そんな立ち居振る舞いから始まる。
久米宏氏へのインタビュー記事「日本人は“1億総オリンピック病”に蝕まれている」(日刊ゲンダイDEGITAL 2017年7月31日)
<メディアは24日に開幕まで3年を切ったと大ハシャギ。9条改憲も共謀罪も築地市場移転も東京五輪にかこつけ、押し通す。「そこのけそこのけオリンピックが通る」の狂騒劇に招致段階から反対し続けているのが、元ニュースキャスターでフリーアナウンサーの久米宏氏。
―前回の東京五輪を経験した年齢層ほど「返上」の割合が多い。
64年大会には意義があったと感じているのでしょう。開会式前夜はどしゃ降りで「明日はとんでもないことになるぞ」と思ったら、朝起きると、雲ひとつない快晴でね。この光景が非常に示唆に富んでいて。戦後20年足らずでオリンピックをやるなんて奇跡です。当時は日本人が自信を持ち、世界に復興をアピールできたけど、今回は何の意義があるのかと疑問に思っているのでしょう。
―都心では「レガシー」とか言って再開発がドンドン進んでいます。
僕がオリンピックに反対する大きな理由は、これ以上、東京の一極集中は避けるべきと考えるからです。既にヒト、カネ、コンピューターが集まり過ぎ。オリンピックは日本中の財や富をさらに東京に集中させます。首都直下型地震が起きたら、日本の受けるダメージが甚大になる。
―直下型地震はいつ起きても不思議はない、と危ぶまれています。
日本で開催するにしても東京だけは避けるべきなのに、ホント理解できません。
―この季節、東京はうだるような暑さが続いています。
競技を行うには暑すぎます。台風も来るし。日本にとって最悪の季節に開催するのは、アメリカ3大ネットワークのごり押しをIOCが聞き入れているだけ。今からでもIOCに10月に変えてと懇願すべきです。
―アスリートファーストをうたいながら、選手には過酷な環境です。
ウソばかりつきやがってって感じですよね。なぜ真夏開催でOKなのか。本当に聞きたいんです、組織委の森喜朗会長に。アンタは走らないからいいんだろ、バカなんじゃないのって。この季節の開催は非常識の極み。開催期間の前倒しは難しいけれど、3カ月ほどの後ろ倒しは、それほど無理な注文じゃないと思う。工事のスケジュールも楽になる。絶対に開会式は前回と同じ10月10日にすべき。それこそレガシーですよね。
―こうした不都合な真実を報じるメディアも少ない。朝日、読売、毎日、日経が東京五輪の公式スポンサー。いわば五輪応援団です。誘致の際の裏金疑惑などを追及できるのか疑問です。
国際陸連の前会長の息子が、黒いカネを派手に使ったって、みんな気付いているんですけど。なんで追及しないのかねえ、あんな酷いスキャンダルを。
―幼少期からオリンピック嫌いだったそうですね。その理由もメダルのことばかり騒いでいるのが疑問だったとか。
間違ったことを言っちゃいけないと思ってオリンピック憲章をプリントアウトしました。第1章6項1に〈選手間の競争であり、国家間の競争ではない〉、第5章57項には〈IOCとOCOG(オリンピック組織委員会)は国ごとの世界ランキングを作成してはならない〉とある。
―どの国が何個メダルを取ったかの競争を禁じるようにしっかり明文化しているのですね。
ところが、日本政府はもう東京五輪の目標メダル数を発表しているんです。JOCの発表は「金メダル数世界3位以内」。選手強化本部長は「東京五輪を大成功に導く義務があり、それにはメダルの数が必要」と言っていますが、ハッキリ言ってオリンピック憲章違反。国がメダルの数を競っちゃいけないのに、3年も前からJOCがメダルの数を言い出す。こういうバカさ加減が、子供の頃から変だと思ったんでしょう。
―お子さんの頃から鋭かったんですね。
しかも、メダルの色や数で競技団体が受け取る助成金まで上下する。差別ですよ、完全に。
―普段から憲法を無視し、そのうえオリンピック憲章違反とはルール無用の政権ですが、丸川珠代五輪相も昨年ラジオのゲスト出演をドタキャンしましたね。
出演交渉したら「喜んで行く」と言ったんですよ。久々に会うから楽しみに待っていたのに、政務がどうとか言ってね、1週間前にキャンセル。理解に苦しみます。
―反対の意見は聞きたくないという今の政権の姿を象徴しています。
自分たちに非があるって分かっているんじゃないですか。プロセスがちっとも民主的じゃないですから。五輪開催について都民の声を一切聞かない。巨額の税金を使うのに、都民に意見を聞かずに開催していいのか。非常に疑問です。今からでも賛否を問う住民投票を行う価値はあります。
―多くの人々は「ここまで来たら」というムードです。
それと「今さら反対してもしようがない」ね。その世論が先の大戦を引き起こしたことを皆、忘れているんですよ。「もう反対するには遅すぎる」という考え方は非常に危険です。日本人のその発想が、どれだけ道を誤らせてきたか。シャープや東芝も「今さら反対しても」のムードが社内に蔓延していたからだと思う。
―都民の声を聞くのはムダではない、と。
90%が反対だったら、小池都知事も「やめた」って言いやすいでしょう。彼女はあまり五輪に賛成ではないとお見受けします。石原さんが決めたことだしね。五輪を返上すると、違約金が1000億円くらいかかるらしいけど、僕は安いと思う。それで許してくれるのなら、非常に有効なお金の使い道です。
―24年夏季五輪招致に乗り出した都市も住民の反対で次々断念し、残るはパリとロサンゼルスのみ。IOCも28年大会に手を挙げる都市が現れる保証はない、と2大会をパリとロスに振り分ける苦肉の策です。
世界は気付いたんですよ、五輪開催の無意味さを。ソウル大会以降、開催国の経済は皆、五輪後に大きく落ち込みました。リオも今酷い状況らしい。しょせん、オリンピックはゼネコンのお祭りですから。つまり利権の巣窟。一番危惧するのは、五輪後のことを真剣に考えている人が見当たらないこと。それこそ「オリオリ詐欺」で閉会式までのことしか誰も考えていない。国民が青ざめるのは祭りの後。いいんじゃないですか、詐欺に遭っている間は夢を見られますから。今は豊田商事の証券を持っている状況です。
―また古いですね。
結局、日本人はスポーツが好きなワケじゃない。オリンピックが好きなだけなんですよ。ノーベル賞も同じ。科学とか文学とか平和が好きなんじゃない。あくまでノーベル賞が好きなんです。
―確かにオリンピックの時しか注目されない競技があります。
フェンシングとかね。カヌーもリオで日本人が初の銅メダルを獲得した途端に大騒ぎ。異常ですよ。日本人はカヌーが好きなんじゃない。オリンピックが好き。メダルが好きというビョーキです。
―世間はオリンピックのことなら何でも許される雰囲気です。
ラジオで「オリンピック病」の話をしたら、モンドセレクションも加えてくれって電話が来ました。いっそ立候補する都市がもう出ないなら、IOCもずっと東京に開催をお願いすればいい。一億総オリンピック病なら安心でしょう。IOC本部もアテネの銅像も全部、東京に移しちゃって。
―五輪反対を公言する数少ないメディア人として、向こう3年、反対を言い続けますか。
何で誰も反対と言わないのか不思議なんですよ。そんなに皆、賛成なのかと。僕は開会式が終わっても反対と言うつもりですから。今からでも遅くないって。最後の1人になっても反対します。でもね、大新聞もオリンピックの味方、大広告代理店もあちら側、僕はいつ粛清されても不思議ではありません。>
2017年07月26日
幻の名画

ビデオにもなっていなければ、DVDにもなっていない。テレビで放送されることもない。上映用プリントは劣化し、退色が目立っていた。最新技術で色合いを復元したものの、作品の上映権は京都市が所持しており、権利関係も複雑に絡んでソフト化することもできなかった。幻の映画。
50年前に見逃したこの映画が気になって調べてみた。一般公開される唯一の機会。それは、祇園祭のシーズンに京都文化博物館・映像ギャラリーで行われる上映会。さっそく、祇園祭・後祭(アトマツリ)の日に見に行った。「1960年代」のパワーとエネルギーに圧倒され、168分の時間も忘れ、見入ってしまった。

1968年に公開された映画『祇園祭』。応仁の乱後の京都が舞台。戦禍にまみれた京の町で、町衆たちは、殺し合わない方法で権力に対峙し自治を獲得するため、30年間途絶えていた祇園祭を復興しようとする。中村錦之助や岩下志麻のほか、三船敏郎、美空ひばり、高倉健、渥美清らが登場する豪華さも見どころ。

応仁の乱により京の都は荒廃。地方では百姓が土一揆を起こし、馬借や河原者と呼ばれる被差別の人々がこれに加勢。京都の町は何度も襲撃される。肝心の侍たちは機能せず、町衆は体を張って六角堂を守っていた。土一揆は念仏踊りにまぎれこんで京都の町の中心部まで潜入。町衆と一触即発になる。そこへ、その場の空気から完全に浮いている美女あやめ(岩下志麻)が登場。同じく笛の名手である染物職人の新吉(中村錦之助)は彼女に惹かれていく。
新吉たちは細川家の依頼により山科へ出兵、京の町民と農民たちとの戦いが始まった。貧農に加勢する馬借の熊左(三船敏郎)と一戦を交え、ようやくこれを撃退した新吉。実は町民も農民も侍たちの犠牲になっているだけなのではないかと、疑問を持ち始める。

土一揆をしていた百姓たちも過酷な年貢に苦しめられていた。京都に来た一揆に対して「無益な殺し合いはやめよう」と彼らを逃がした新吉の母親は、警護の侍に咎められ、たたき殺される。
あやめは「河原者」と呼ばれる被差別の出自。新吉は、彼女の悲しみに触れる。同胞を殺すための戦争の道具を作らされている「弦召(ツルメソ)」の青年(北大路欣也)からは、「これでたっぷりと人殺しをするんだろう」と吐き捨てられる。

対立する百姓と町衆、賤視される「河原者」「弦召」「馬借」。新吉は、本当の敵が何であるのかを本能的に見つけ出していく。
武力で対抗しても侍には勝てない、ここはひとつ平和的な祭りで町おこしをしよう。目覚めた新吉のリードで、30年途絶えていた「祇園祭」の準備が始まった・・・

原作は西口克己の小説。1961年、映画監督の伊藤大輔が中村錦之助主演を前提に東映に企画を提出したが、製作費が莫大になることがネックとなり、お蔵入り。その後、映画界は斜陽となり、東映は任侠路線へ転換。最終的には京都府政百年記念事業として京都府の協力と京都市市民のカンパを得て、「日本映画復興協会」の名の下、1967年、製作が開始。しかし、構想・企画段階からのスタッフの降板、監督の交代、政治的妨害、関連団体からの圧迫などの艱難辛苦の末、完成まで7年の歳月を要した。一方、映画会社主導ではなかったのが幸いし、東映・東宝・松竹のトップ俳優に加え、フリーの大物俳優が集結した。エキストラとして、京都市民も数多く参加。封切りは1968年11月23日。通常の邦画系映画館ではなく洋画系映画館にてロードショー公開され、大ヒットを記録。その後、様々な事情から一般公開は困難となる。
相も変わらず、百田尚樹やケント・ギルバートなどのヘイト本が積み上げられる書店。文化の退廃と不健康さに心が凍りつく。「幻の名画」を見た後、この真っ直ぐなエネルギーとたくましい倫理観は何なのだろうかと考えた。映画技術の稚拙さ、時代的制約、そんなものを超えて圧倒的な説得力を持って迫ってくるもの。私たちがピンと背筋を伸ばし、胸を張って生きていくために必要なもの。それは、どこかで私たちが間違って手放してしまった、「自分の思想を鍛える」ということだったのではないか。
2017年07月04日
真夜中のギター


◎朝日新聞2017年7月3日朝刊「政治断簡 個人と世界と真夜中のギター」(高橋純子)
「自分の住む世界を変えたいんだよね? 君は。それを人に頼むんだ? 人のせいなんだ?」「自分が変わらずに、世界は変わらないよ」
NHK連続テレビ小説「ひよっこ」の脚本を担う岡田惠和氏が、4年前に手がけたドラマ「泣くな、はらちゃん」。世界を変えてと“神様”に懇願する主人公に向け放たれるこのセリフを、知覚過敏の奥歯でかみ締めた。都議選最終日、首相に振られる日の丸の小旗の映像をながめながら。
白い花柄のワンピースが、西日に映えてまぶしい。
6月2日、国会議事堂前の歩道に、彼女はすっくと立っていた。不自然なほどまっすぐに伸びた背筋に、そこはかとない緊張感が漂う。胸元に掲げられたプラカードには、「FIGHT TOGETHER WITH SHIORI」(詩織と一緒に闘う)
「性犯罪の被害を受けたのに、相手が不起訴処分になった」として検察審査会に不服を申し立てたフリージャーナリスト・詩織さん。その記者会見を見て、じっとしていられず、SNSで呼びかけられた抗議に参加したという彼女は21歳、大学3年生。
―ひとりで来たの? 勇気がいったでしょう。
「いや、友達誘う方が、逆に勇気いるんで」
―どうして来ようと?
「私、去年、電車で痴漢に遭って。本当につらくて、仲のいい男友達に相談したら、『お前でも痴漢されるんだ』みたいに言われて。これって何なんだろう?って、女性差別の勉強を始めて、自分がもっと主体的に社会を動かさないといけないって思って」
同じようなプラカードを手にした150人ほどが、ただ黙って立っている。シュプレヒコールもなにもない静けさの底に、ずっしりとした怒りがたたえられている。
でもそれは、詩織さんという固有名詞を超えて、自らの尊厳が傷つけられた時の痛みの記憶、その古傷から漏れ出す怒り、なのかもしれない。
一緒に闘う。
あなたは、ひとりじゃない。
私たちは時に「誰か」に、そう伝えたくなる。誰も聞いていないのに、真夜中のギターを弾いてみたりする。
「個人の尊厳 国民主権」
先日、日本記者クラブで記者会見した前川喜平・前文部科学事務次官はこう揮毫(キゴウ)した。自分の信念、思想、良心は自分自身だけのものとして持たなければいけない、と。
個人。良心。自民党改憲草案はこれをどう扱っているか。13条「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」は「人」に、19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」は「思想及び良心の自由は、保障する」に変えられている。なるほどね、そういうことね―。
あったことがなかったことにされ、なかったことにはできないと良心に従い声をあげた個人が攻撃される国は美しい国ですかそうですか。
あなたは、ひとりじゃない。
私はギターをかき鳴らす。じゃがじゃがじゃがじゃがかき鳴らす。夜明けまで。世界がぱちりと目を覚ますまで。

◎スポーツニッポン2017年6月1日
元TBS記者でジャーナリストの山口敬之氏(51)を準強姦罪で告訴も、不起訴処分となったことを不服として検察審査会に審査を申し立てたジャーナリストの詩織さん(28)が31日、都内でスポニチ本紙の取材に応じた。圧力があったとも感じさせた捜査、性犯罪被害者に不利に働く現在の法的・社会的状況を、時折、涙で声を詰まらせながら訴えた。
名前を明かし顔も出した29日の会見で気丈な対応を見せたのとは対照的に、この日は涙を抑えられない場面が幾度となくあった。
「今後も同じ思いをする方が出てきてほしくない」と開いた会見。見たくない部分に触れざるを得ないことから「猛反対」していた家族の反応を聞かれた際、「大切な妹がいるんですけど」と切り出すと、言葉を詰まらせた。「彼女にも未来があるのに、私が(表に)出ることによって迷惑がかかるんじゃないかと心配していたんですけど、やはりつらかったみたいで」
“実名・顔出し”を決意した裏には、「黙っていたら(事件が)消されてしまう」との思いもあった。相手は安倍晋三首相に最も近いとも言われるジャーナリスト。捜査がゆがめられたのではないかとの指摘も出ている。
捜査に消極的だった警視庁高輪署だが、「(現場の)ホテルには防犯カメラがあるから、データが消される前に必ず見てくださいと話してやっと見てくれて、事件性ありとみなされて、そこから少しずつ捜査がスタートしたんです」。ようやくこぎ着けた逮捕状の取得。しかし、それが執行されることはなかった。現場の捜査員からは電話で「上からの指示」と告げられた。
執行にストップをかけたのは当時の警視庁刑事部長。菅義偉官房長官の秘書官を務めたこともある人物だった。「高輪署は捜査1課に話をしているし、著名人の捜査は大変だと聞いていたので、逮捕状を取る時もしかるべきところを通されているわけで…」と所轄と本庁とで情報共有がなされていたとした上で、突然の“捜査指揮”に言及。「誰に聞いても答えを教えてくれない。異例だとしか。本当に知りたいと思い自分でも調査をしていくと、(官邸人脈と刑事部長の)名前がリンクしたんです」
扱いが1課へ移ると、警視庁から示談を勧められるという「極めて異例」(代理人弁護士)な展開を迎えた。準強姦罪は親告罪。大きな意味を持つ。「彼らの車で彼らが同席する中で示談の話を勧められるというのは…。警察の方は捜査する方たちで、示談を勧める立場ではないし、起訴できないと決めつけるところでもない」と切り捨てた。
「2年前からストレスで髪が抜けるようになりました」と打ち明けた詩織さん。傷つきながらも心はなお闘おうとする一方、体には無理が表れてしまっているらしい。友人は「それほどつらい状況なのです」と察した。
2017年05月14日
札束より花束を

5月12日、「国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会」は慰安婦問題に関する2015年末の日韓合意について、合意の見直しを勧告。元慰安婦に対する「補償や名誉回復、再発防止の保証などが十分ではない」とした。
2015年の日韓合意。日本政府は韓国政府が設立する財団に10億円を拠出。韓国政府はソウルの日本大使館前の少女像について関連団体と協議したうえで適切に解決されるよう努力する。これにより、日韓政府は「慰安婦問題の最終的かつ不可逆的な解決」を確認するという内容。
これ以上、日韓関係を悪化させないための苦心作ともいえる。しかし、「朴大統領に安倍首相が心からおわびと反省の気持ちを表明」という伝聞が説明されただけで、安倍首相自身の口から公の場で「元慰安婦たちへのおわびと反省」が具体的に語られることはなかった。元慰安婦たちが求めていた首相による「おわびの手紙」に対し、安倍首相は国会答弁で「毛頭考えていない」と全否定。
「心からのおわびと反省の気持ち」は“見せかけ”のものにしか見えず、カネですべてを解決しようとする姿勢に不信感を持たれることになる。特に当事者である元慰安婦の心は置き去りにされたままだ。
ムン・ジェイン大統領は安倍首相との電話会談で、「国民の大多数が、心情的に合意を受け入れられないのが現実だ」と述べた。「時間がかかる」という言い方に、懐の深さを感じた。そんな大統領に「反日」のレッテルが貼られる。
少女像の製作者、キム・ソギョン氏とキム・ウンソン氏夫妻。ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺を正面から受け止め、謝罪と反省の意味を込めた「ベトナムのピエタ像」を制作。少女像は決して“反日の象徴”ではなく、戦争を憎み、犠牲者を悼み、平和を希求する市民の思いが込められている。正式名称を「平和の碑」という。
カネでカタをつける。そう受け止められることが一番まずいことなのに、「少女像撤去」の大合唱を挙国一致でやるこの国の破廉恥さ。「非国民」という言葉がよみがえりつつあるこの時代、真の愛国者とは「信義と品性」を守り抜く人間のことだと強く反論したい。
2017年05月06日
チキンレースの愚


ジェームス・ディーン主演『理由なき反抗』の一場面。競い合う2人が、断崖に向かって同時に車を発進させる。先に車から飛び降りたほうが負け。でも降りるのが遅すぎると崖から転落して死んでしまう。
チキンレース。どちらがチキン(憶病者)であるかを試す度胸試しのゲーム。ディーン演ずる主人公は飛び降り、相手の少年は転落して死んでしまった。


国民の生命と安全を守るべき政治家たちがチキンレースに現(ウツツ)を抜かす。「もっと軍事的圧力を!」の大合唱。分別を失ったメディアは危機感を煽り、軍拡競争を煽動する。「死の商人」が、後ろでそっとほくそ笑む。
私たちの国には、戦争を放棄し、軍隊を持たないという立派な理念があったはず。それこそが、「美しい日本」。それこそが、現実的な「安全保障」。それこそが、私たちの「誇り」。競うべきは軍事力ではなく「知性と品格」。チキンレースの愚を許してはならない。
2017年05月05日
逆さ地図から見えてくるもの

地中海を船が往来し、文明が往来した。面積にしてその半分の日本海。それは、東の地中海。船が往来し、文明が往来した。「裏日本」と呼ばれていた日本海側は、大陸への玄関口であったことがわかる。新羅と出雲の距離は、出雲と能登の距離に等しい。
縄文時代以来、日本海側にはたくさんの巨木遺跡があった。その最終的な帰結が出雲大社。かって、出雲大社の正面には入り江があった。そこは、日本海の荒波を避けた最高の良港。巨大な貿易センターであったのかもしれない。
地図を逆さにすると、見えないものが見えてくる。
2017年02月23日
胡蝶の夢

「地球から約40光年離れた恒星の周囲を、地球に似た七つの惑星が回っていることがベルギー・リエージュ大などの国際チームによる研究でわかった。質量やサイズが地球と同程度で、地表に海が存在する可能性があるものもあるという。」(2017.2.23.朝日新聞朝刊)
光が放たれてから40年後に届くという彼方の世界。地球に似た七つの惑星が太陽を回っている。そこに住む生命体。私たちの人生は「胡蝶の夢」なのか。
「荘子」斉物論。夢の中で胡蝶になり、ひらひらと飛びまわった。目覚めると、そのあまりの鮮やかさに、自分の一生は蝶が見ている一瞬の夢なのかと考える。自分が胡蝶か、胡蝶が自分か。
「夢が現実か、現実が夢なのか?しかし、そんなことはどちらでもよいことだ」と荘子は言う。蝶であるときは蝶となり、自分であるときは自分となる。そのいずれも真実であり、己であることに変わりはない。それぞれの場で満足して生きればよいのである。「是と非、生と死、大と小、美と醜、貴と賎」。現実に相対しているかに見えるものは、人間の「知」が生み出した「ただの見せかけに過ぎない」。
限りのあるものの中で限りないものを追いかけてもただ疲れるだけ。人生を「はかない」と考えたところで埒(ラチ)が明かない。差異や区別を超えた万物斉同の世界で遊ぶこと。荘子は、それを「逍遥遊」と呼んだ。目的意識に縛られない自由な境地。自然と融和した自由な生き方。
時には、天空の星を見てみるのもいいものだ。