2019年05月02日
映画「主戦場」

<ドキュメンタリー映画『主戦場』日本緊急公開決定! ひっくり返るのは歴史か、それともあなたの常識か。ようこそ「慰安婦問題」論争の渦中へ。>
京都シネマは、「立ち見」まで出る満席状態だった。ケント・ギルバート、杉田水脈、テキサス親父、櫻井よしこ、藤岡信勝といった今をときめく「愛国者」の皆さんが生き生きとインタビューに答える。人が好いから騙されて喋ってしまったと今頃ネットで騒いでいるが、いやいや結構嬉しそうに答えていましたよ。

「主戦場」とは、論争で相手を叩き潰すというネトウヨ用語。従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃いし、慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らとスクリーンのなかで“激突”する。直接対決ではなく、論点を絞った相互のインタビューがテンポよく重ねられていく。判断するのはそれを見た観客。

映画の公開前には、極右歴史修正主義者やネトウヨ文化人が多数ラインナップされていることから「否定派の宣伝になるのではないか」との懸念の声もあった。だが、この映画は単なる「両論併記」ではない。
ミキ・デザキ監督は次のように語っている。
「論点を並べて“どっちもどっちだ”というやり方は、実のところ政治的なスタンスの表明に他なりません。慰安婦問題に関しては、いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは、彼らの言いなりになるということであり、その現状を容認することに他なりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが、それは、客観主義を装うことで、語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく、比較することで生まれる結論があります」
映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し、その矛盾や恣意性を明らかにしていく。

インタビューを重ねるだけの一見退屈そうな映画なのに、ハラハラドキドキと「主戦場」の中に引きこまれていく。途中から、これは「映画」なのだと思った。そして、こんな「映画」もあるのだと思った。こんな「映画」の面白さもあるのだと思った。

観客は文字を追いかけているわけではない。話し手の表情、息遣い、人格そのものまでがひしひしと伝わってくる。それは、言葉以上に冗舌に私たちに語りかけてくる。この映画の醍醐味はそこにある。

本作が映画デビュー作となるミキ・デザキ監督。1983年生まれの日系アメリカ人2世。日本での英語教師やタイでの僧侶経験もあるという異色の映像作家。映画終了後の舞台あいさつでこんな話をした。「高校で英語の授業をしていた。テンポよくやらないと生徒は寝てしまいますからね」

映画を見た後、無知がいかに罪なのかを改めて思い知らされた。私たちはパンとサーカスに飼い慣らされた従順な羊になってしまってはいけない。改元のバカ騒ぎの中、「羊」にだけはなるまいと妙な闘志を燃やしながら映画館を出た。