2018年07月23日
タクシー運転手

1980年5月、民主化を求める大規模な学生・民衆デモが起こり、光州では市民を暴徒とみなした軍が厳戒態勢を敷いていた。「通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う」というドイツ人記者ピーターを乗せ、光州を目指すことになったソウルのタクシー運転手マンソプ。約束のタクシー代を受け取りたい一心で機転を利かせて検問を切り抜け、時間ギリギリにピーターを光州まで送り届けることに成功する。

「危険だからソウルに戻ろう」というマンソプの言葉に耳を貸さず、ピーターは大学生のジェシクとファン運転手の助けを借り、撮影を始める。しかし状況は徐々に悪化。マンソプは1人で留守番させている11歳の娘が気になり、ますます焦るのだが…。

「光州事件」での実話をベースに描き、韓国で1200万人を動員したという、大ヒット作「タクシー運転手 約束は海を越えて」。今回も知る人ぞ知る「話題作」を見に京都へ。

京都出町桝形商店街の一角にある「出町座」。突如、学生時代へタイムスリップしたかのような不思議な空間。この映画は、何かを純粋に追いかけていた「そんな時代」の追憶にも似ている。

1984年に制作された韓国映画「鯨とり」。内気でうだつのあがらない大学生。訳ありの浮浪者。失語症の少女。売春宿から彼女を救出し、故郷に送り届けるというストーリー。
1970年代、朴正煕(パクチョンヒ)政権は非常戒厳令を発布して国会を解散、野党の政治家は逮捕・監禁された。いわゆる「維新」体制。これに抵抗した民主化運動。その中で歌われた抵抗歌の一つが「鯨狩りの歌」。「鯨とり」とは、韓国語で「大きな夢を追う」という意味の隠語。韓国映画「鯨とり」の題名は、そこから来ている。

1979年、朴正煕大統領の暗殺により軍事独裁政権は幕を下ろした。「ソウルの春」と呼ばれる民主化が進むかに見えた。ところが、全斗煥(チョン・ドゥファン)の「粛軍クーデター」により、軍部の一部勢力が政権の実権を掌握した。全斗煥は1980年5月17日、非常戒厳令を全国に拡大し、金大中氏や金泳三氏ら有力政治家を連行した。
軍事政権の復活に反対する市民や学生の民主化デモは韓国全土に広がり、激しさを増していった。韓国南部の光州では空挺部隊が投入され、市民への発砲や暴行が行われた。1980年5月27日、戒厳軍が市内を制圧するまでの間、光州市内の電話は通じなくなり、メディアも情報統制された。光州市内でいったい何が起きていたのか。

それを伝えようとするドイツ人記者、タクシー運転手そして学生。イデオロギーではなく、人間としての「あるべき何か」が彼らを動かし、それを人々が支えた。残念ながら、それは私たちの社会が今見失おうとしているものでもある。「タクシー運転手」という映画は、まさに「鯨とり」そのものなのかもしれない。

2017年5月18日。韓国・光州で、光州民主化運動37周年の記念式典が開催された。大統領選挙で当選したばかりの文在寅(ムン・ジェイン)大統領が出席。そこでの演説が「歴史的演説」として称賛されている。
「37年前、あの日の光州は、私たちの現代史で一番悲しくて痛ましい場面でした。私は80年5月の光州市民をまず思い浮かべます。誰かの家族であり、隣人でした。平凡な市民であり、学生でした。彼らは人権と自由を抑圧されない、平凡な日常を守るために命をかけました。私は大韓民国の大統領として、光州の英霊の前で深く感謝申し上げます。5月の光州が残した痛みや傷を秘めたまま、今日を生きていらっしゃる遺族と負傷者の皆様にも深い慰労の言葉を申し上げます。

1980年5月の光州は今なお生きている現実です。いまだに解決されていない歴史です。大韓民国の民主主義は、この悲劇の歴史を踏みしめて立ち上がりました。光州の犠牲があったからこそ、私たちの民主主義は持ちこたえて、再び立ち上がることができました。私は5月の光州の精神でもって、民主主義を守ってくださった光州市民と全南道民の皆様に格別の尊敬の言葉を差し上げます。
5.18は不義の国家権力が国民の生命と人権を蹂躙した私たちの現代史の悲劇でした。 しかし、これに対抗した市民の抗争が民主主義の道しるべを立てました。真実は長い間隠蔽され、歪曲され、弾圧されました。しかし、厳しい独裁の暗やみの中でも、国民は、光州の灯をたどって一歩ずつ進みました。光州の真実を伝えることが民主化運動となりました。

5月の光州はとうとう、昨冬に全国を灯した偉大なろうそく革命として復活しました。不義に妥協しない怒りと正義が、そこにありました。国の主人は国民であることを確認する喊声が、そこにありました。国を国らしくしようという激しい情熱とひとつになった心が、そこにありました。
新政府は5.18民主化運動の真相を究明するのに、大きな更なる努力をします。ヘリコプター射撃まで含めて、発砲の真相と責任を必ず突き止めます。5.18関連資料の廃棄や歴史歪曲を防ぎます。
完全な真相究明は進歩と保守の問題では決してありません。常識と正義の問題です。私たち国民みなが共に培わなければならない民主主義の価値を保存することです。

5月の光州の市民らが分かち合った『おにぎりと献血』こそ私たちの自尊の歴史です。民主主義の本当の姿です。命が去来する極限状況でも、節制力を失わず、民主主義を守り抜いた光州の精神はそのままろうそく広場で復活しました。ろうそくは5.18民主化運動の精神の上で国民主権時代を開きました。国民が大韓民国の主人であることを宣言しました。」

映画のラストシーン。実在したドイツ人記者は、30数年ぶりの韓国を訪れ、あの時の「タクシー運転手」を探そうとするが見つからなかった。「今の韓国をあなたに案内してもらいたかった」。最後の言葉がとても印象的だった。
