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2018年01月03日

「人間の条件」

「人間の条件」

「人間の条件」

 第二次世界大戦下、梶は鉱山技師として「満州」に派遣される。梶の勤める鉱山で、七人の反抗的な中国人労働者が刑場に引き出され、次々と首をはねられていく。梶はその蛮行を阻止したいのだが、勇気が持てない。
 三人目の中国人の首が地上にころがったとき、梶は遂に一歩を踏み出した。「待て!」 叫んで、飛び出すように進み出た。「やめて頂く」はっきり云ったつもりだが、自分の声がまるで借りものとしか聞こえなかった。「どけ!出しゃばると貴様も叩っ斬るぞ」首切り役の憲兵が怒鳴りつける。

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  騒ぎが大きくなることを恐れた現場責任者のひとことで、どうにか処刑は中止された。梶はこの騒動の責任を取らされて日本帝国軍に編入され、軍人として数々の理不尽を経験していく。(五味川純平『人間の條件』)
 五味川純平。1916年、中国大連に近い寒村に生まれる。東京外国語学校英文科卒業後、旧満州・鞍山の昭和製鋼所に入社。1943年召集を受け、「満州」東部国境各地を転々とする。1945年8月、ソ連軍「満州」侵攻により捕虜となる。1948年の引き揚げ後、非人間的な軍隊組織と個人との闘いをテーマに書き下ろしたのが『人間の條件』。1300万部を超える大ベストセラーとなり、五味川純平は一躍人気作家となった。

「人間の条件」

 当初、『人間の條件』はいくつもの出版社をタライ回しにされた後、三一書房へ持ち込まれた。社長の竹村一は、1・2巻の900枚を一気に読み終え、その場で出版を決めた。竹村もまた、中国への侵略戦争であることを知りながら、日中戦争へ駆り立てられていった一人だった。その心の傷の共有は、同時代の人間の域をはるかに超えた厳しさと連帯があったと竹村は言う。共犯意識とも言うべきものなのか。
 三一書房は、竹村一が1945年に、京都で創業。後、東京に移転。会社名は、1919年3月1日から起こった朝鮮民族の独立運動「三・一独立運動」に由来している。

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 反戦思想を持ちながら、日本の傀儡国家・満州の国策会社満鉄に勤めていた主人公の梶。無実の中国人が処刑されるという理不尽に異を唱えることで、それまで彼が持っていたものの全てを奪われ地獄の境遇へと突き落とされる。
 軍隊生活の理不尽さ、残忍さ。旧陸軍での私的制裁の酷さがいかに殺伐とした人間を大量生産したか。少しばかり階級が上の人間が、下のものを辱め、殴り、恥をかかせて精神的に追い詰めていく。敵兵ではない、他ならぬ同じ日本兵に対して。なぜここまで残酷になれるのか。実際に体験した者でなければ決して描くことの出来ない、人間尊厳の極限を克明に描写しいく。

「人間の条件」

 軍隊は人間性そのものを破壊していく。何より恐ろしいのはそうした軍隊生活でため込んだ怒りや恨みが、敵兵である中国人に対して圧倒的力をもって暴発することだ。

「人間の条件」

 この地獄のような世界で、打ちひしがれながら、なお人間としての心を失うまいとした人々がいた。梶は捕虜となった一中国人との間に、人間同士としての心の交流を求めた。理不尽な暴力に日夜苛まれる同期兵を庇おうとする兵がいた。日本軍の暴力から、敵国人である中国人を助けようとした兵がいた。凄惨な世界の中で、それでもなお人間であり続けようとする者と、同じく人間であり続けようとする者とが手を伸ばしあう。「人間のそばには、必ず人間がいる」

「人間の条件」

 軍隊での暴力に耐え、満州国境での壮絶な戦闘に生き残った梶は、ソ連軍の捕虜になる。捕虜収容所を脱出した梶。妻のもとへ帰ろうと、満州の荒野をさまよう。妻に食べさせようと懐に入れた餅。それもかなわず、極寒の中、死を迎える。梶は最後まで「梶」として、妻・美千子は最後まで「美千子」として終わる。まるで二人が一対であるかのように。

「人間の条件」

 五味川純平の生涯のテーマは、戦争の非人間性・不条理さを描くことだった。地獄を見、体験してきた五味川は、生き残ったものの責任として、戦争へと導いたものを糾弾せずにはいられなかった。そして、極限状況における人間の醜悪さと美しさ、人間の尊厳とは何かを問い詰めた。人間が人間として生きる。そのための人間の条件は?
 高校を卒業したばかりの頃に読んだ『人間の条件』は、間違いなく自分の原点であった。「戦争だけは絶対にしてはいけない」。そう叫んでいた人たちが、今、一人また一人と他界していく。戦争への想像力を失いつつある危うい時代。もう一度、私たちの国が世界に発した「非武装・非戦平和」の原点に立ち返らなければならない。人間の尊厳と誇りのために。