2016年06月27日
あたらしい憲法草案のはなし

名著「あたらしい憲法のはなし」(http://biwap.shiga-saku.net/e953450.html)に続く「あたらしい憲法草案のはなし」(太郎次郎社、2016/6/22初版)が刊行された。著者は、「自民党の憲法改正草案を爆発的にひろめる有志連合(自爆連)」。定価741円。
日本国憲法の意義を改めて再認識させられる素晴らしい内容だ。草案の作成者の意図に沿うように、しっかりとわかりやすく書かれている。これを読むと、草案が現憲法の一部や条文改正なんて生ぬるいことではなく、根本原理を変えようとしていることがよくわかる。草案の特徴は次の三点。「国民主権の縮小・戦争放棄の放棄・基本的人権の制限」。内容を少しだけ拾ってみよう。
<前文>あたらしい憲法草案では、前文がそっくり書きなおされました。主語が「日本国民は」から「日本国は」に変わっています。これは国民を必要以上につけあがらせてはいけない、という考えによるものです。主語が変わったことで、国の中心が「国民」ではなく「国」そのものであることがはっきりします。国民主権の名のもとで、国民が調子にのりすぎるのを防ぐため国民主権を縮小するのです。
<1条>天皇が「元首」になります。「元首」としてはっきり書かれれば、日本国民にも「天皇陛下が日本でいちばんえらい方だ」という自覚が生まれ、いままで以上に天皇陛下をうやまう気持ちになるでしょう。
<4条>「元号」 それをなぜ、憲法に書きこむのでしょう。それは日本が「天皇をいただく国」であることをはっきりさせ、国民が元号をもっとおもんじるようになってほしいからです。こんごは西暦よりも元号を使うようにという通達が出るかもしれません。
<9条>「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」 国防軍ができますと、めんどうなはなしあいは、しなくてもよくなります。じっさいに戦わなくても「国防軍でこうげきするぞ」とおどかせば、あいての国はこわがり、いうことをきくようになるでしょう。これを「抑止力」といいます。
積極的平和主義とは、平和は命の犠牲の上にきずかれるという考えかたです。国際社会での「つきあい」をおもんじ、アメリカに一人前の国としてみとめてもらうためには、なにがなんでも日本は他国といっしょに戦争に参加しなければなりません。
<12条>「国民は、これ(基本的人権)を濫用してはならず、常に公益及び公の秩序に反してはならない」 いったい、どれほどおおくの権利を国民にあたえたら、きがすむのでしょう。これでは国民がつけあがって、権利、権利とさわぐのもあたりまえです。このような国民のかんちがいをなおす工夫がこらされました。「公益及び公の秩序」に反しているとさえいえば、基本的人権のすべてを規制できるのです。
<13条>「全ての国民は、『人』として尊重される」 「個人主義」をぼくめつするためにも、『個人』を『人』に変えたのです。「個」の一字を削除するだけで、わがままな人はヘリ、政府や国の仕事をする人たちは、仕事がやりやすくなるでしょう。
<24条>「家族は、互いに助け合わなければならない」 みなが家族のために尽くせば、保育や介護は家族の責任になりますので、保育園や介護施設を国の責任でつくる必要はなくなります。生活がくるしい人のための生活保護も、親類縁者をさがしだし、援助ができる人がひとりでもいれば、国はお金を出さなくてすみます。
この草案が理想とするのは「強く美しい国」なのです。それがあるべき日本のすがたなのです。「強く美しい国」は、国外の敵と勇敢に戦い、国内の敵(政府に反抗的な人びと)を強い力でだんあつしなければ、つくれません。ですから憲法の三原則を変更し、国防軍をつくって、緊急事態条項をもうけたのです。勇気をもって憲法を改正すれば、みなさんも「強く美しい国」の一員になれるのです。
※二度にわたる世界大戦の惨禍を味わったヨーロッパは、EC(ヨーロッパ共同体)を作り上げた。人類の壮大な実験でもあった。「強く美しい国・大英帝国」を夢見たイギリスはECを離脱しようとしている。「強く美しい国」を夢見る人たちは、トランプを支持し、ネオ・ナチを生み、ヘイトスピーチを繰り返す。もはや保守とすらも呼べない不気味な潮流の中で、私は信念を持ってこう思う。強い国家より、やさしい社会を。
Posted by biwap at 06:05
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