› 近江大好きbiwap › 近江大好き › 民俗と文化への興味 › 草津サンヤレ踊り

2016年05月04日

草津サンヤレ踊り

草津サンヤレ踊り

 無形民俗文化財「サンヤレ踊り」。草津市内の下笠・矢倉・志那・志那中・志那吉田・片岡・長束に伝承されている。5月3日、それぞれの神社の祭礼の時、御輿(ミコシ)に随行して踊られる。踊の構成は、太鼓打ち・スッコ・ササラ摺り・棒振り・鼓打ち・太鼓受け・音頭取り・鉦摺り・笛吹きなど。団扇を片手に踊り、「サンヤレ、サンヤレ」の囃子詞がかけられる。「幸あれ」が訛って「サンヤレ」といわれるなど諸説いろいろ。とにかく意味不明の詞章を歌いながら踊る。室町後期から近世初期にかけて全国的に流行した風流囃物(フリユウハヤシモノ)に類似。

草津サンヤレ踊り

 矢倉のサンヤレは、稲荷神社から立木神社へ行き、若宮八幡宮まで5時間かけ戻ってくる。老杉神社は、お旅所まで行き、また神社に戻る一日の行程。下笠は派手な衣装。志那・三大・惣社神社は、「風の神」をまつり、白い法被にうちわを持つ素朴な感じ。

草津サンヤレ踊り

 昔の人たちを悩ませたのが伝染病・旱魃・飢饉。花の咲く時期、疫病神がもたらすと考えられた。疫病神を追い払うには、鉦・太鼓・笛などではやし立て、御輿・笹・榊などの依り代(ヨリシロ)につけ、踊りの行列と共に集落の外に追い払うのが一番。これには、疫病神もビックリ。なかなか「したたか」なものだ。

草津サンヤレ踊り

 今回は、志那神社の「サンヤレ」を見学。古事記に「志那都比古、風の神なり」とある。「志那」とは「風」を意味する古代の言葉。かって志那の町は、至る所に掘割のあるクリーク地帯だった。堀江には小船が行き交い、石垣を組んだ家の玄関から小橋が架けられていた。そして彼方には三上山が・・・
 「志那の村々のかなたに、秀麗きわまりない三上山が、くっきり浮かんでいた。すると、かってこの志那の地には、花摘寺の巨大な堂塔と、あの三上山がならびたっていたことになる。はるばると淡海をわたってきた大陸の人々にとって、これほどよい目標はまたとなかったのではあるまいか。ここに都があったのだ。数十もの大寺がならんでいた幻の古京が…」(邦光史郎『幻の近江京』)
 「サンヤレ」。見知らぬ彼方からやってきたのか。はるか古(イニシエ)、風に乗り。

草津サンヤレ踊り