2015年02月11日
今日は建国記念日ではない

「建国記念日」ではない、「建国記念の日」である。戦後、保守勢力は「紀元節」の復活を図ってきた。「建国記念日」制定法案は反対で廃案。そこで、「記念日」ではなく「建国されたという事象そのものを記念する日」とし、具体的な日付なしに祝日法改正案が成立(1966年)。祝日法には必ず定められるはずの日付は、法律ではなくその後の政令で定めてしまった。それが「二月十一日」。1948年に廃止された「紀元節」の復活である。逆コースと呼ばれた戦前回帰の象徴とも言える。
1872(明治5)年、明治政府は神武天皇の即位をもって国の「紀元」と定めた。「日本書紀」によれば、神武天皇の即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」。日付は1月1日、これを新暦の採用により2月11日とした。では、何年のことなのか。それを計算したのは江戸時代。渋川春海「日本長暦」(1677年)による。「辛酉年」は紀元前660年と計算された。それを紀元として皇紀という暦が作られる。1941年には、皇紀2600年の大式典が行われている。この年に採用された戦闘機は「ゼロ戦」と呼ばれる。
紀元節には、天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式が行われた。小学校では、天皇皇后の御真影に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式が行われた。全国の神社では紀元節祭が行われ、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が各地で開催された。
神話は神話でよい。しかし、それが「歴史」とされ、学問としての歴史学は迫害された。民衆の心を支配する重要な道具立てとなり、子どもたちは教育された。「建国をしのび、国を愛する心を養う」という安倍談話。私たちはいつまでも飼いならされた羊であってはならない。
Posted by biwap at 11:26
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