2014年03月06日
ここが「天王山」だ!
<牛頭天王と蘇民将来・その4>

天下分け目の決戦を「天王山」と言う。1582年6月、織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦い。この山を制した方が天下を取ることから、重大な試合や局面の比喩として使われる。山崎は、摂津国(大阪府)と山城国(京都府)の境。豊富な地下水に恵まれており、サントリー山崎蒸溜所がある。その向こうに見える山が「天王山」。中腹に牛頭天王を祀る山崎天王社(現・自玉手祭来酒解神社)があることに由来する。江戸時代まで、「てんのう」は「天皇」ではなく、牛頭「天王」であった。「牛頭」は、近代になって抹殺される。東京都八王子市。戦国時代、北条氏照が城を築いた深沢山に、「八王子権現」を祀ったことが名の由来。「八王子」は、牛頭天王の8人の王子である。
天下分け目の決戦を「天王山」と言う。1582年6月、織田信長を討った明智光秀と羽柴秀吉が戦った山崎の戦い。この山を制した方が天下を取ることから、重大な試合や局面の比喩として使われる。山崎は、摂津国(大阪府)と山城国(京都府)の境。豊富な地下水に恵まれており、サントリー山崎蒸溜所がある。その向こうに見える山が「天王山」。中腹に牛頭天王を祀る山崎天王社(現・自玉手祭来酒解神社)があることに由来する。江戸時代まで、「てんのう」は「天皇」ではなく、牛頭「天王」であった。「牛頭」は、近代になって抹殺される。東京都八王子市。戦国時代、北条氏照が城を築いた深沢山に、「八王子権現」を祀ったことが名の由来。「八王子」は、牛頭天王の8人の王子である。
Posted by biwap at 06:37
│牛頭天王と蘇民将来