「私はオーストリアではボヘミア人として、ドイツではオーストリア人として、そして世界中からはユダヤ人として、あらゆる意味で歓迎されない人間だ」。そうマーラーは語った。1860年にユダヤ人の子として生まれる。生涯の大部分をウィーンで送り、指揮者としては高い地位を築いたが、作曲家としてはこの地では評価されなかった。「アウトサイダー」としての意識は、生涯消えなかった。ヒトラーは、12歳のときに「ローエングリン」を聞き、熱狂的ワーグナー・ファンとなる。ワーグナー思想の根幹にはゲルマン民族の優越と反ユダヤ主義があった。1911年5月、マーラーは50歳の生涯を閉じる。1933年、ヒトラー内閣が成立。ユダヤの音楽に対する虐待が始まる。ユダヤ人指揮者ブルーノ・ワルターはヨーロッパを離れる。マーラーを好んで演奏していたフェルトベングラーは、ナチスの政策に反対の意を唱え、ナチスの監視下に置かれる。カラヤンはナチスに入党し、ドイツ国内でめきめきと頭角を現す。マーラーの自筆譜の多くが灰となった。1945年5月、ヒトラーは自殺し、ドイツは無条件降伏。1960年、「マーラー生誕100年祭」が世界各地で開催。マーラーの音楽は爆発的なブームを迎える。中心となって活動したのは、かつてヒトラーに忠誠を誓い、マーラーの音楽を拒否したカラヤンだった。
http://youtu.be/E2AzM1a5loU
Posted by biwap at 06:22
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