› 近江大好きbiwap › 2015年07月

2015年07月07日

ブームから文化へ


 最年少選手の懸命にボールを追う姿と、最年長選手の懸命に目立とうとする姿が対照的だった。監督の迷采配を懸命にフォローする選手たち。大騒ぎするわりに本質に迫らないメディア。懸命に努力している若手選手の芽をつむことだけはしないでほしい。保守・保身・創造性欠如。典型的「おっさん」サッカーから脱却し、躍動的でクレバーな未来のなでしこに期待したい。そのためにもしっかりとした総括を。  


Posted by biwap at 08:42

2015年07月06日

咲き始めたアオバナ


 夏の日の早朝。ツユクサに似た大型の青い花が開花する。草津市の花「あおばな」。アオバナの青色色素は、水溶性で色落ちしやすい。下絵を描く時の顔料として用いる。下絵の色は最終的には完全に抜け落ち、仕上がった染め物には残らない。染織工芸、特に京友禅で用いられた。


 花弁だけを摘み取り、絞りとる。できた青い汁を美濃紙に刷毛で塗り、天日で乾かす。青というよりもむしろ黒い紙が、青花紙として出荷される。これを水に溶かし、薄青くなった顔料が下絵付けに用いられた。
 アオバナは、江戸時代中期頃から草津を中心に商品作物として栽培されてきた。しかし早朝に開花した花はその日の昼頃には萎んでしまう。限られた時間の中、小さな花びらを一つ一つ丹念に摘み取らなければならない。搾り取った汁はその日のうちに使わなければ変質してしまう。酷暑の中の過酷な作業からアオバナは「地獄花」とも呼ばれた。半面現金収入も大きく、「あおばな御殿」と呼ばれる豪邸を建てた人もある。その人たちにとっては「小判花」であった。
 着物生産が盛んだった頃、沢山の仲買人が競い合って青花紙を買いに来た。戦後、化学薬品で青花に替わるものが開発された。「化学青花」と呼ばれ、安価で工程も簡単。「本青花」と呼ばれた草津産の青花紙は駆逐されていった。


 2000年頃から、アオバナに糖質吸収を妨げる成分があるという研究成果が発表さる。アオバナを使ったお茶や乾燥粉末などの健康食品開発が行われていく。1981年、草津市の花に制定されたアオバナ。再び咲き誇る日がやってくる。街道の分岐点「草津宿」。日本一長い旧河川敷緑地公園。「草津ルネサンス」がもうすぐそこに。

  


Posted by biwap at 06:13近江大好き

2015年07月04日

偉大なる教科書


◆獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の知的程度はますます低く抑えねばならない。
◆大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。
◆全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。
◆大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決める。この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものだ。
◆熱狂する大衆のみが操縦可能である。
◆人々が思考しないことは、政府にとっては幸いだ。
◆大衆は小さな嘘より、大きな嘘の犠牲になりやすい。
◆弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらいたい…大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である。
<いろんな政治家やベストセラー作家の顔が思い浮かぶ。まさか、これで勉強していたのか?>
  


Posted by biwap at 07:44辛口政治批評

2015年07月02日

「蝉丸」事件の現在


世阿弥作「蝉丸」


 蝉丸は醍醐天皇の第四皇子として生まれるが、幼少の頃から盲目であった。


 天皇は、蝉丸を逢坂山に捨てるよう命ずる。捨てられた蝉丸は、琵琶を抱き、杖を持ち、逢坂山の関に住む。


 蝉丸の姉、第三皇女逆髪は、髪が逆立つ奇病。


 弟蝉丸を訪ね、やがて琵琶の音に導かれて再会を果たすことになる。


 暫しの間、互いの不運を嘆き慰め合う二人。逆髪はまた何処へともなく立ち去って行く。蝉丸は見えぬ目で去り行く姉を見送った。
 1934年、能「蝉丸」に対し「皇室の尊厳」を損なうとし右翼団体が糾弾した。内務省は、右翼の主張に過敏に反応。「『蝉丸』の上演を永久に禁止」する方向で検討を開始した。といっても、明確な禁止措置を採るのではなく、一種の「自粛要請」という名の圧力。戦後の1947年まで、「蝉丸」の上演は一度もおこなわれなかった。「蝉丸上演自粛事件」である。
 「ウルトラ(右翼)の兄弟たち」に支えられた現政権。そっくりなマスコミへの「自粛要請」。メディアを懲らしめようという思い上がりに、心も凍りつきそうである。