山宣ひとり孤塁を守る

biwap

2013年12月21日 06:26

1928年3月15日、田中義一内閣は治安維持法に基づく一斉検挙を行った。拷問は熾烈をきわめた。衆議院議員となった山本宣治は、国会でこれを厳しく糾弾。彼の背後には、黒い影がつきまとう。4月27日、帝国議会に治安維持法改正案が上程された。死刑を含む刑罰の強化はあまりにも弾圧的として、改正案は審議未了となる。しかし、政府は緊急勅令により、これを強行。事後承認審議が1929年2月から始まった。国家権力による思想弾圧は、戦争への道を拓いていく。山本宣治は、反対演説の草稿を念入りにしたため、3月5日に登院するが、発言は封じられた。疲れきって神田の旅館に戻ったその夜の午後9時半のこと、1人の男が面会を求めてやってきた。男は、宣治に議員辞職勧告書を突きつける。突如、鋭い刃先が宣治の頸動脈を貫いた。宣治は血まみれで格闘するが、ついに息絶えた。享年39歳。「山宣ひとり孤塁を守る だが僕は淋しくない 背後には多くの大衆が・・・」。墓碑に刻まれた彼の言葉である。治安維持法は、侵略戦争への露払いの役割を果たしていった。


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