光秀を結ぶ赤い糸・坂本

biwap

2016年02月17日 21:33



 織田信長は比叡山焼き討ちの後、明智光秀に坂本城を築かせた。延暦寺の門前町であり、湖上交通の重要な港であった坂本は、物流拠点として栄えた。



 光秀が再興した西教寺。山崎の合戦に敗れ、京都山科で百姓に殺されたという光秀。明智一族と共に西教寺に葬られたと言われている。妻・煕子の墓は本物であるようなのだが、光秀の墓については?


 秀吉死後、歴史の表舞台に登場した天海。西教寺からほど遠くない坂本・慈眼堂(ジゲンドウ)に廟所がある。光秀と天海を結びつける赤い糸が坂本にはありそうだ。
 今回は、その坂本に光秀の妻・煕子を訪ねてみた。もう一つの赤い糸。
「近江史を歩く・56」は、「明智光秀の妻・煕子」

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