少し考えればわかる「当たり前の話」が「当たり前」にならない不思議の国イルボン。「反中亡国論」の著者・富坂聰氏の「台湾有事を大声で唱えるのは、アジアでは日本が最後になるかもしれない」を抜粋引用する。良くも悪くも常識的で「当たり前」の話だが、「思考停止・空騒ぎ社会」への鎮静剤になればと願う。
<中国は2005年の反国家分裂法の文言、「武力行使は放棄しない」などの表現を繰り返し用いているが、2019年からは明らかにその前後の表現を緩めているということだ。習近平国家主席自身「中国人は中国人と戦わない」と何度も繰り返し、間接的ながら大規模侵攻の必要性を否定しているのだ。
要するに対台湾における習政権のトレンドは、明らかに融和へと向っているのだ。そして、その最大の理由は合理性にある。
仮に多大な犠牲を払って台湾を統一できたとしても、その後、反中感情に燃える2000万人を支配するコストは膨大である。しかも戦争により一帯の経済発展の機会は失われ、西側世界を中心とした多くの国からの制裁にも晒されるのだ。
そうなってしまえば、改革開放政策後、「発展こそすべて」と突っ走ってきた中国共産党にとって最大栄誉である「アメリカを超える経済大国に中国を導く」ことなど、夢のまた夢となってしまうはずだ。
そんな選択をすることが、はたして本当に習近平指導部にとってのソロバン勘定に合うのだろうか。
これに加えて日本人が冷静に考えなければならないのは、台湾が常に「反大陸」一色で固まっているのか、という疑問だ。
中国の脅威を強調して、政権浮揚策につなげてきた蔡英文政権の支持率一つとっても、ずっと乱高下を続けてきたのが実態だ。それからも分かるように、台湾の人々の大陸に対する態度は一定ではない。事実、昨夏のナンシー・ペロシ前米下院議長の訪台の騒動では、その前後で蔡政権への支持率はかえって落ち込んでしまったのである。
その理由の一つとして挙げられるのは、台湾の人々の間に持ち上がった警戒心がある。アメリカは台頭する中国をけん制するため中台の対立を利用しているのではないかという疑問だ。つまり、「駒として使われている」という自覚の芽生えだ。
ウクライナ戦争も勃発から1年が過ぎた。そして、戦局を注視してきた台湾の人々の多くは、ウクライナがボロボロになっている姿と自分たちの未来を重ねている。それは、アメリカは「後ろから弾を補給してくれるものの戦ってはくれない」という現実だ。
少なくとも中国と国交を結んでいる国は、強弱の差こそあれ、中華人民共和国を唯一の合法政府と認め、台湾を独立した国とは認めていない。つまり、中台の争いはあくまでも内戦という位置づけであり、「他国への侵略」として国際世論はまとまらない可能性が高いからだ。
こうした疑問や不安は、台湾ではまとめて「疑米論」と呼ばれているのだが、その「疑米論」がいま、島内で静かに広がっているというのだ。蔡英文の後に民主進歩党の主席に就いた頼清徳は今年2月、これを懸念し「決して『疑米論』を台湾世論の中心にしてはならない」と呼びかけたほどだ。
昨年末、蔡政権はこれまで18歳以上の男子に義務づけていた兵役の期間を現在の4カ月間から1年間に延長することを決めた。硝煙の匂いが現実味を帯びて近づいていることを台湾の人々も実感させられ始めている。そうなれば本当に戦うことの無益さを意識せずにはいられないだろう。
ウクライナ戦争の状況を見れば明らかなように、戦争を防げなかった一帯に勝者はいなくなる。ロシアもウクライナも欧州全体が敗者なのである。欧州経済のダメージの大きさが何よりも如実にそのことを語っている。
アジアが戦争に巻き込まれることを警戒して東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々は、いま米中対立をアジアに持ち込もうとするアメリカにネガティブであり、台湾の極端な行動にも反発する傾向が強い。
アジアの繫栄は戦争では得られないのだ。>