猛暑、鳥取へ
垂仁天皇の皇子・ホムツワケは、ひげが胸のあたりまで伸びるころになっても、赤ん坊のように泣いているばかり。言葉を話すことができなかった。そのホムツワケが、あるとき鳥が飛んでいるのを見て「あれ、なに?」と、初めて言葉を口にした。天皇は喜び、その鳥を捕らえるよう、臣下に命じた。
その後、ホムツワケは、めでたく言葉を話せるようになった。ホムツワケは、ヤマトタケルの伯父にあたる人物。鳥を捕らえた臣下は、「鳥取造(トトリノミヤツコ)」の名を与えられた。
鳥取造のもと、鳥それも特に白鳥を捕らえて天皇に献上する役割を担った職能集団を「鳥取部(トトリベ)」という。彼らの住む「鳥取郷」は全国に十数か所あり、いずれも白鳥の渡来地であり産鉄との関わりも深い。
鳥取郷の一つであった現在の鳥取市。水辺に集まる鳥などを捕らえて暮らしていた狩猟民族が、大和政権に組み込まれ「鳥取部」として従属した場所。1871年、廃藩置県。従来の因幡(イナバ)国・伯耆(ホウキ)国は、一緒になり鳥取県となる。
今回の旅は、鳥取県。伯耆大山から倉吉、因幡白兎海岸を通り鳥取砂丘へ。西から東へ移動した。
岡山県・蒜山高原を北上すると、鳥取県・大山へ。大山は中国山地の連なりからやや北に離れた独立峰の火山。その山容から「伯耆富士」とも呼ばれる。
のどかで牧歌的な風景が続く大山放牧場。
向こうには日本海が見える。さわやかな開放感に猛暑はどこかへ消えてしまったようだ。
鳥取県中部の玄関口・倉吉市。伯耆の「小京都」とも言われる。
古代には、伯耆国の国府・国分寺・国分尼寺がおかれていた。白壁土蔵の街として知られる。
鳥取砂丘。日本海海岸に広がる広大な砂礫地で、代表的な海岸砂丘。観光可能な砂丘としては日本最大。
焼けつく砂の上を海岸へ向かって歩いた。
滝のように流れる汗。燦燦と降り注ぐ烈火の如き太陽。でも不思議なことに、海風が吹き抜けると、そこには、カラッとした心地よい「暑さ」だけがあった。アスファルトやコンクリートを焼きあげ、エアコンの廃熱にヒートアップした都会の「猛暑」とは明らかに別のものだ。私たちは「暑さ」という自然の感覚をも失いかけているのかもしれない。
日本海に面した日本で最も人口の少ない都道府県・鳥取県。日本で唯一「スタバ」のないこの県には、変わり切らない何かが残っている。いつの日か、東アジアに平和が訪れ、日本海が「東の地中海」となった時。ここは再び表玄関となる。猛暑の中、そんな夢を垣間見た。
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