「空気読む社会」の危うさ
強いものに従順で、弱いものに強圧的。偏見や差別意識にとらわれやすい。絵にかいたような「権威主義的パーソナリティー」の蔓延。強権政治の広がり。
以下、毎日新聞3月27日夕刊より文章のみ抜粋引用
書店には「反中・嫌韓本」とともに「日本礼賛本」が並ぶ。排他的な雰囲気が漂う現代日本。社会学者のエーリッヒ・フロムがナチズムに傾倒したドイツを考察した名著「自由からの逃走」で解き明かした社会に似てきていないか。
ドイツ出身のフロムが、亡命先の米国でこの本を著したのは、欧州でファシズムが猛威をふるった1941年。第一次大戦で敗戦後、経済的に多くの人が苦しんでいる時にナチスが勢力を伸ばした背景を考察した。
<近代社会において、個人が自動機械となったことは、一般のひとびとの無力と不安とを増大した。そのために、かれは安定をあたえ、疑いから救ってくれるような新しい権威にたやすく従属しようとしている>
フロムはこうしたドイツ国民の傾向を「権威主義的パーソナリティー」と名付けた。自由を持て余し、不安や孤独から強い権威(=ナチス)に身を委ねていったというのだ。
では、今の日本が全体主義に陥る危険はあるのか。2006年から学生を対象にアンケートを行い、ファシズムの兆候がないか調べている帝京大教授の大浦宏邦さん(社会学)に聞いた。「劇場型」といわれた05年の郵政解散・総選挙で、小泉純一郎首相(当時)が圧倒的な支持を得て以来、授業を履修する学生に「ファシズム(F)尺度調査」を実施している。
06年から17年まで、4000人近い学生を調査した結果、平均は4・5点(最高点は7点)だった。大浦さんはどう評価するのか。「ナチス・ドイツの親衛隊員が5点と言われていますので、高い値です。ただ、この間、数値はほぼ一定しており、直ちにファシズムの傾向があるわけではありません。今後の動向に注目していく必要があるでしょう」
現代日本には、ヘイトスピーチがあり、生活保護受給者など社会的に立場の弱い人を攻撃する空気も一部にある。
フロムが指摘するような心理が生まれたのはなぜか。精神科医の水島広子さんは「ヘイトスピーチを行うのは疎外感を持っており、自己肯定感が低い人です。自信が持てないため、『仮想敵』を作り上げ、優位に立とうとすることで自信を持ったような気になる。ただ、あくまでも形だけの自信なので、団結することで疎外感を抱かない場を作るのです」と解説する。
水島さんによると、「反中・嫌韓本」や「日本礼賛本」もそうした自信を得るためのツールだ。人口減少社会など将来に不安を抱える中、隣国を排他的に非難することで自国の存在価値を膨らませ、「欧米から評価されている日本」を強調することでやすらぎを求めるというのだ。
もう一人、筑波大名誉教授の小沢俊夫さんを訪ねた。ヒトラーの自殺が日本に伝わった45年4月、小沢さんは15歳だった。当時の日記に「ヒトラーは偉かった」と書いている。「私は『世紀の英雄』だと思っていたんですよ。私自身、軍需工場で爆薬を作っており、日本の勝利を疑わない軍国少年でした」
北朝鮮情勢の緊張が続いていた昨年、小沢さんは、弾道ミサイルの飛来を想定した避難訓練の映像を見ながら戦中の竹やり訓練を思い出した。父の開作さんは戦中、婦人会が竹やりでB29爆撃機に対抗しようとする様子を見て「ばかか」と笑い、特高警察の監視がついたという。
フロムは、周囲に合わせて自我を捨てることを「機械的画一性」と呼び、ナチス台頭の温床となったと指摘した。今の日本の言葉でいえば「空気を読む社会」だ。
<個人的な自己をすてて自動人形となり、周囲の何百万というほかの自動人形と同一となった人間は、もはや孤独や不安を感じる必要はない。しかし、かれの払う代価は高価である。すなわち自己の喪失である>
関連記事