暴兵損民
「ニセモノはみんな仰々しい。ホンモノはみんな素朴だ」(むのたけじ)
宇都宮徳馬。「軍縮」という言葉が死後になりつつある今、自民党にもこんな政治家がいたことを思い出す。1956年の自民党総裁選では、安倍晋三の祖父・岸信介と争った石橋湛山を支援。根っからのリベラリストだった。私財を投じて平和・軍縮活動に取り組み、軍縮問題資料の発行を継続した。
2000年7月1日、肺炎のため93歳で死去。河野洋平・土井たか子らの国内政治家を始め、中国・韓国など各国からも、政治家や政府関係者が葬儀に参列した。
日中国交回復交渉の時だった。日本側は、日中戦争の賠償問題、賠償金額等を懸念していた。宇都宮は中国政府高官から「日本政府に賠償を求める考えはない。ドイツの例を見ても、戦争に負けた国に賠償金を求めても平和な関係は築けない」との方針を聞く。宇都宮は「心のなかで日本国民に代わって頭を下げた」という。
韓国の軍事独裁体制時代。当時のKCIA(韓国中央情報部)によって民主化運動のリーダー金大中が拉致された時には、事件の真相究明と金大中の原状回復を主張し支援運動を行った。また、全斗煥体制下、死刑判決を受けた金大中の救命にも尽力した。
寛容を旨とする。相手の立場を重視する。自己をひけらかし、それを相手に押し付ける愚を否定してやまない。右翼・極右に屈しない。外国との友好を第一に考える。侵略戦争と植民地政策で、史上まれにみる悲惨な災難を与えた、隣国との友好に対して、私財を投げ出し、生涯かけて取り組んだ。「平和・軍縮を忘れるな」。そう叫ぶ声が聞こえてきそうだ。リベラリストは権力に屈しない。「屈するな」が宇都宮の遺言でもあった。
宇都宮の敬愛する石橋湛山は、軍部専制の暗い日々に堂々とこう言い放ったそうだ。「中国から一切手を引け」「朝鮮も台湾も進んで放棄せよ」「兵営の代りに学校を、軍艦の代りに工場を」「小さくても、平和で豊かで道義性の高い日本を作れ」
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