ベトナム旅行記

biwap

2014年12月18日 19:15

 2014年12月13日~12月17日。二度目になるベトナム旅行。今回は、ホーチミン滞在型。朝6時、ホテル前の公園から突如大音量の音楽が。
 毎朝、ダンスをしているようだ。女性のグループ、いや2テンポ位遅れて踊っているおじさんもいる。朝早くから公園にはたくさんの人たちが体操やジョギングや散歩を楽しんでいる。早起き民族なのか?
 大都会の風景だが、植物が南国を感じさせる。緑が多い。6時半頃、朝のラッシュが始まる。
 とにかくこの国はバイク。クラクションを鳴らしながら洪水のようにバイクが走っていく。そのパワーには圧倒される。日本人はおとなしいな。でも、そのおとなしい日本人に過酷な試練が訪れる。
 信号がほとんどない。横断歩道でも、車はスピードを落とすことなく通過する。そこで、身を守るための横断術必殺技。ゆっくりと落ち着いて歩きだす。けっしてバイクの方を見てはいけない。自信たっぷりに前だけ見て歩く。バイクはかってによけてくれる。ここで変にたじろいだり、急に走りだすと危険きわまりないことになる。人生もかくの如しか。ホテルに帰りフルーツやジュースをイヤというほどお腹に入れたら、メコン川ジャングルクルーズに出発。
 船で島へ渡り、ボートに乗り換えジャングルクルーズ。櫂を漕いでいるのは小学生くらいの男の子。日曜日のバイトなのか。もっと奥深く探険できるのかと思ったこのオプショナルツアー。意外と観光コースに過ぎなかった。まあ京都の保津川下りといったところか。
 ベトナム料理は、とてもおいしかった。毎回はずれなし。肉、海産物、ハーブ系野菜。春巻きもそうだけど包んで食べるパターンが多い。薬草を食べているみたいで、体の調子もよくなってきた。市内へ戻ろう。
 ベンダイン市場。中枢部にあるホーチミン市最大の市場。何でもある。日本語、中国語、韓国語なんでも飛び出す。強引な客引き、値引き交渉。面白いが、どうも観光用市場の雰囲気だ。もっとディープなところへと、タクシーで25分程のビンダイ市場へ。
 でも、ここまで来るとさすがに買いにくい。手にとって見ていても、そ知らぬ顔である。とぼとぼと磁石だけをたよりに中心地へ戻っていく。ひたすら歩き続ける。
 ホーチミン市内には、かっての宗主国フランスの建築物が残る。
 ここは、郵便局。ホーチミン(胡志明)は、建国の英雄・胡志明の名前から来ている。後ろの肖像画がホーチミン。第2次大戦後、フランスから独立したベトナム民主共和国の憲法にはアメリカ独立宣言の一節が引用されていた。フランス撤退後、そのアメリカが南ベトナムに傀儡政権を作り介入してくる。そしてベトナム戦争。当時高校生だった私には、政治や歴史を学び、社会に目を開く大きなインパクトであった。1975年サイゴン陥落。その舞台が旧大統領官邸である。
 ベトナムの通貨はドン。銅という漢字から来ているらしい。何百万ドンというお金を持って買い物に行く。20万ドンが千円くらいだから、途中で何がなにやらわからなくなってくる。単位の大きさが一瞬、買い物の抑止力にはなる。路上でココナツの実を割り、ストローを突き刺してくれるココナツジュースは1万5千ドン。これは最高だった。一番、買いもののしやすかったのは、コープ・マート。さすが安心・安全のCOOPだ。今回も改めて感じた。日本語の通じないところがおもしろい。
 ベトナムは、面積は日本より少し狭いくらいで、人口は日本の約3分の2。けっして小国ではない。経済成長は鈍化したとはいえ、大きな潜在力を持っている。高層ビルの立ち並ぶホーチミン市では、地下鉄の建設が始まった。そのパワーと熱気は、まるで一昔前の韓国。でも、これからどこへ向かうのか期待と不安が入り混じる。小型アメリカ社会や物欲資本主義は、もうたくさんだ。アジアの歴史や文化や風土を活かした新しい社会。それはアジアの中で生きる日本のあるべき姿でもある。原発事故の収拾すら未解決なのに、ベトナムへ原発を輸出するなどという厚顔無恥の野蛮な政治が再び多数派を占めた日本。温暖な冬のベトナムから帰国した途端、寒波に震えてしまった。偏見と差別を乗り越え、友好と共生のアジアの春が来ることを信じて、アジアにもっともっと関心を持っていきたい。


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