草津よいとこ
「草津です」「ああ、あの温泉で有名な」「・・・・」。そんな訳で、滋賀県民としては、一度は行かねばならぬ群馬県草津温泉。
江戸時代の儒学者・林羅山は、有馬温泉・草津温泉・下呂温泉を「日本三名泉」とした。
北西部に聳える草津白根山。草津温泉は、草津白根山から東へ流れる地下水に火山ガスが出会って生じたもの。
泉質は炭酸水素塩泉で、pH2.1と強酸性。温泉街のシンボルとなっているのが「湯畑」。湧き出た湯を7本の木樋に通すことで、100度という高温の源泉を薄めることなく外気によって冷ます仕組み。
草津温泉。直接史料での初出は、1472年。蓮如が訪れたときのものであると言われる。この頃にはすでに全国に名の知れた湯治場であった。豊臣秀吉が徳川家康に草津入湯を勧めた書状なども伝わっている。江戸時代。交通は不便にもかかわらず、年間1万人を超える湯治客で賑わった。60軒の湯宿があり、「草津千軒江戸構え」といわれた。
強酸性泉による殺菌作用から「万病に吉」として、切り傷からハンセン病・梅毒・皮ふ病まで、幅広い湯治客を受け入れてきた。明治時代、草津温泉郷にはハンセン病集落ができていた。第二次大戦後、ハンセン病治療薬の登場により温泉療法は急速に廃れた。草津温泉は方向転換を余儀なくされ、一般観光客を集める温泉観光地としての道を歩むこととなる。
温泉街の中心部に湧く源泉「湯畑」の周囲は、ロータリー状に整備されている。デザインは、湯治客としてこの地を訪れた岡本太郎。湯が滝のように湧き出る光景は全国的にも数少なく、夜間のライトアップが美しい。
しかし、草津温泉イチオシの「魅力」をこんな所に発見した。地域の人たちが利用する無料の共同浴場が19ヶ所ある。勝手に戸を開けて中に入る。脱衣所と湯船だけ。
とにかく熱い。さっと入り、さっと出る。驚くほどのスッキリ感!これぞ、日本一の湯。狭い浴室で、見知らぬ人と何気に声を掛け合う。そうか「温泉」とは、こういうものだったのだ。
滋賀県草津市は、草津温泉を有する群馬県草津町と1997年に友好交流協定を結んでいる。2016年6月25日「京都新聞」には、次のような記事が出ている。
<1925年に開業した草津市の老舗銭湯「草津温泉」が29日に閉店する。JR草津駅近くにあり、地元住民に愛され、群馬県の草津温泉と同名でも知られた名物浴場だった。生活習慣の変化で経営が難しくなり、91年の歴史に幕を閉じる。経営者は「よくここまで続けてこられた。お客さんのおかげ」と感謝している。>
1925年、中山道から草津川堤防に沿う竹藪を切り開いて作ったのが「草津温泉」。西洋風の3階建てで、2階正面にはバルコニーもあり、モダンな造りとなっていた。左手の渡り廊下は、隣接する映画館へとつながっていて、人々の娯楽の場であった。
第二次世界大戦後、ヨーロッパの市民は廃墟と化した自分たちの町を昔のように再生するため、煉瓦を一つずつ積み上げたという。自分たちの住む土地への誇りと愛着。それは偏狭なナショナリズムや暴力的な開発主義とは対極のものなのだ。
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