石山寺の月
道草百人一首・その4
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」(紫式部)【57番】
新古今集詞書によると、幼友達と久しぶりに逢ったのに、それも束の間、月と競うように帰ってしまったということになる。しかし、この歌を詠んだ少し前に、紫式部は夫の藤原宣孝(ノブタカ)を亡くしている。夫を偲んで詠んだ歌と考える方が、realityがありそうだ。この後、紫式部は一条天皇の中宮・彰子に仕え、石山寺に参篭した際、「源氏物語」の着想を得たとされる。今からちょうど1000年ほど前のことである。石山寺にある紫式部像である。
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