愛と復讐のルサンチマン
「山中常盤物語絵巻」。源義経伝説に基づく御伽草子系の物語。歴史的事実ではないので念のため。藤原秀衡を頼って奥州へ下った牛若を訪ねて、都を旅立った母の常盤御前。山中の宿で盗賊に惨殺される。常盤も侍従も小袖を奪われ、上半身裸、刺された常盤の胸には血がべっとりと。何とも凄まじい絵だ。母・常盤を殺害されたその翌日、奇しくも悲劇の舞台となった宿に泊まった牛若丸。その夜、夢枕に母が現れ、事の顛末を知る。母の仇を討つため牛若は、盗賊をおびき寄せ、不意を突いて襲いかかる。盗賊どもの首や手足が切り落とされ、胴体が切り刻まれる血なまぐさいシーンが連続する。目を背けたくなるような修羅場。まるで得体の知れない力に導かれるように、作者は筆を進めていく。この情念はいったい何なのか。
激しくも妖しい絵巻の作者、岩佐又兵衛。江戸時代初期の絵師。「浮世又兵衛」の異名をとり、浮世絵の祖、大津絵の祖と喧伝され、謎の絵師とされてきた。父は、摂津国伊丹の有岡城主・荒木村重。村重は織田信長の家臣であったが、信長に反逆。信長に攻められた村重は城から脱出。信長は見せしめの為、人質を処刑。女房衆122人が尼崎近くの七松において鉄砲や長刀で殺された。京都に護送された村重一族と重臣の家族の36人は、大八車に縛り付けられ京都市中を引き回された後、六条河原で斬首。城中に残された一族郎党は虐殺。村重の子・又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護された。肝心の村重本人は毛利方へ逃亡。秀吉が覇権を握ってからは、大坂で茶人として復帰している。過去の過ちを恥じ、「道糞」(ドウフン)と名乗った。子の又兵衛と再会したかは、詳(ツマビ)らかではない。
成人した又兵衛は母方の岩佐姓を名乗り、織田信長の息子・信雄に御伽衆(オトギシュウ)として仕えた。その後、京都で絵師としての活動を始める。この又兵衛を京の都から呼び寄せたのが、越前北之庄藩主・松平忠直。祖父・徳川家康の冷遇に怒り、乱行に走ったバサラ大名である。京の都から福井に移った又兵衛は、絵巻という大作に取り組んだ。しかし、そのほとんどは、仇討ちの復讐物語。 戦乱の時代に一族を惨殺された岩佐又兵衛。反骨のバサラ大名・松平忠直。この出会いが恐るべき絵巻を生み出すこととなる。晩年の又兵衛が使った印章には、「道薀(ドウウン)」の文字が刻まれていた。
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