祇園祭と粽(チマキ)の由来

biwap

2014年03月04日 06:42

<牛頭天王と蘇民将来・その3>


 祇園祭は、京都八坂神社の祭礼。近代以前には「祇園御霊会」と呼ばれていた。平安時代に疫病の流行を防ぐため、神泉苑で御霊会(ゴリョウエ)が行われた。しかし、疫病の流行は続いたので、無病息災を祈念し、「牛頭天王」を祀り、鉾と神輿を繰り出したのが祭りの起源である。室町時代には、町ごとに風情を凝らした山鉾が巡行する。しかし、明治の神仏分離令。仏教色を排除するため、「祇園御霊会」は「祇園祭」に、「牛頭天王」は「スサノオノミコト」に代えられる。「牛頭天王」は、歴史の表舞台から姿を消していく。
 以前は、祇園祭のクライマックス山鉾巡行時には粽(チマキ)が撒かれた。粽には疫病除けの「蘇民将来之子孫也」の護符が貼付。「スサノオ=牛頭天王」が旅で一夜の宿を求めた時、貧しい蘇民将来がもてなし、牛頭天王がその礼に疫病の厄を免れる茅(チ)の輪を与えた説話に由来する。町を歩くと、民家の軒に吊り下げられているのを見る。今は、ネットでも販売しているようだ。
蘇民将来説話については
 http://biwap.shiga-saku.net/e1006580.html



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