2013年12月11日
流刑地への船旅
道草百人一首・その2
「わたのはら 八十島かけて こぎ出ぬと 人には告げよ あまの釣船」(小野篁)【11番】

平安京の火葬地・鳥辺野の入口あたりに、「六道の辻」と呼ばれた現世と他界の境があった。この地に建てられたのが六道珍皇寺。この閻魔堂には、小野篁(タカムラ)作と言われる閻魔大王と、篁の木像が並んで安置されている。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。
「大海原を漕ぎ出して行ったと、都の人には告げてくれ」と言っているのだが、行き先は流刑地隠岐である。篁は遣唐副使に任ぜられるが、病気を理由に乗船を拒否。挙句の果てに、遣唐使の事業を風刺する漢詩を作る。これを読んだ嵯峨上皇は激怒し、篁は官位剥奪の上、隠岐へ流罪となる。この歌は、その時に詠まれたものであろう。後に赦され平安京へ帰り、官職に復帰する。「野狂」とも呼ばれた反骨精神の持ち主であった。
「わたのはら 八十島かけて こぎ出ぬと 人には告げよ あまの釣船」(小野篁)【11番】
平安京の火葬地・鳥辺野の入口あたりに、「六道の辻」と呼ばれた現世と他界の境があった。この地に建てられたのが六道珍皇寺。この閻魔堂には、小野篁(タカムラ)作と言われる閻魔大王と、篁の木像が並んで安置されている。篁は夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をしていたという。
「大海原を漕ぎ出して行ったと、都の人には告げてくれ」と言っているのだが、行き先は流刑地隠岐である。篁は遣唐副使に任ぜられるが、病気を理由に乗船を拒否。挙句の果てに、遣唐使の事業を風刺する漢詩を作る。これを読んだ嵯峨上皇は激怒し、篁は官位剥奪の上、隠岐へ流罪となる。この歌は、その時に詠まれたものであろう。後に赦され平安京へ帰り、官職に復帰する。「野狂」とも呼ばれた反骨精神の持ち主であった。
Posted by biwap at 06:25
│道草百人一首