恋人ロッテの危機
『若きウェルテルの悩み』(ゲーテ)。婚約者のいる女性シャルロッテに恋をしたウェルテルは、叶わぬ思いに絶望し自殺する。
辛格浩(シン・キョクホ)。韓国慶尚南道蔚山(ウルサン) の農家に、10人兄弟の長男として生まれる。1942年、20歳の時に関釜連絡船に乗って日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら、早稲田実業学校で学んだ。戦後、石鹼やポマード工場の経営に乗り出す。石鹼は飛ぶように売れた。占領下、アメリカ軍が持ち込んだチューインガムに着目。石鹼を煮る釜とうどんの製麺機で、ガムを製造。これが大当たりする。辛格浩=重光武雄は、稼いだ資金をもとに「株式会社ロッテ」を設立。社名は愛読書『若きウェルテルの悩み』の「シャルロッテ」に由来。焼け野原だった東京・新宿に土地を買い、ガムの増産に乗り出す。やがて「ロッテ」は業界トップに上り詰めていく。
1965年、日韓基本条約締結。国交ができる。重光武雄は韓国への投資に乗り出した。1967年、韓国で「ロッテ製菓」を設立。1970年代からは事業の多角化へ。1976年、石油化学会社を買収。1979年、ソウルの一等地に高級ホテル「ロッテホテル」と「ロッテ百貨店」を開業。1989年、ソウル南部にテーマパーク「ロッテワールド」をオープン。「ロッテ」は総合財閥へと成長していった。
韓国への進出当時、韓国国内では「在日韓国人が祖国の発展を支援しているのではなく、ただの日本企業の進出でしかない。日韓の経済的な格差を利用し、事業を拡大している」と批判された。しかし、歴代政治権力との「甘い関係」が、ロッテを成長させていった。特に李明博政権との蜜月度は歴代最高。「李明博夫妻がロッテホテルのスイートルームで寝泊まりし」「主要な報告や協議のために、側近たちがホテルに訪ねて行った」とも言われている。
ロッテグループは2007年4月より持株会社体制に移行。株式会社ロッテホールディングスを設立。日本のロッテグループと韓国のロッテグループを統括している。日本のロッテは長男の重光宏之が、韓国のロッテは次男の重光昭夫が後を継いだ。しかし、ここから韓流ドラマさながらの後継者争いが始まる。骨肉の争いに加え、不正疑惑で韓国検察の捜査を受ける。系列会社の間で資産を移動させ、巨額の裏金をつくっていたというもの。
日本で「ロッテ」といえば、お菓子やプロ野球のイメージが強い。だが韓国では、百貨店・量販店、製菓、化学と多種多様な事業を展開。傘下の企業数は日本の37に対し、韓国は74。2015年には約81兆ウォン(約7兆300億円)の売上高を記録。韓国ロッテは、日本のロッテをはるかにしのぐ、韓国第5位の巨大財閥である。
世界中の多くの人々の胸に深く残る、永遠の恋人「シャルロッテ」。「お口の恋人・ロッテ」は、いったいどこへ向かうのだろうか。
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