<2019年5月11日、北方領土へのビザなし交流訪問に参加中、「戦争でこの島を取り返すことは賛成ですか?反対ですか?」「戦争しないとどうしようもなくないですか?」などと発言した「日本維新の会」丸山穂高衆院議員(35)。
その丸山議員に新たな問題が…23日発売の「週刊文春」が、丸山穂高議員は“戦争発言”以外にも「女を買いたい」などの発言を連発し、さらに酔っぱらって大立ち回りを演じたと報じたのだ。>(2019年5月23日FNNプライムオンライン)
<そりゃそうですよ、あれだけ銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、そういうことをさせてあげようと思ったら、慰安婦制度ってのは必要だということは誰だってわかるわけです。
今はそれは認められないでしょう。でも、慰安婦制度じゃなくても風俗業ってものは必要だと思いますよ。それは。だから、僕は沖縄の海兵隊、普天間に行った時に司令官の方に、もっと風俗業活用して欲しいって言ったんですよ。そしたら司令官はもう凍り付いたように苦笑いになってしまって、「米軍ではオフリミッツだ」と「禁止」っていう風に言っているっていうんですけどね、そんな建前みたいなこというからおかしくなるんですよと。>(2013年5月「日本維新の会」橋下徹市長による慰安婦発言)
<「キーセン観光」が注目されたのは、1973年に韓国の名門・梨花女子大の学生たちが空港で抗議行動をしたことによる。
その前後から、韓国のキリスト教団体を中心に実態調査なども行われ、報告書の幾つかは日本語にも翻訳された。
たとえば『キーセン観光実態報告書』(韓国教会女性連合会)は1983年6月に韓国で発行され、翌年の2月に日本で全訳が出た。読みなおしてみて、ちょっとため息が出た。
この小冊子で丁寧に描かれている韓国は、「1978年11月に観光客100万人を達成し、さらなる観光客誘致に邁進する国」とある。
今もよく似た言い方を見るが、当時は外国人観光客のうち80%は日本人男性であり、旅行目的のほとんどはキーセン・パーティーだった。「韓国は欲望の全てを満たしてくれる」というパッケージツアーのコピー。
その上で、日本人の男性たちが韓国女性相手にどのように遊んでいたか、それを当の女性たちはどう見ていたか、実に赤裸々に表現してあるのだ。ある年齢以上の日本人の多くは、この時代の男性たちの「特殊な団体旅行」を記憶していると思う。
ちなみに赤裸々なのは韓国側の報告書だけではない。日本の「旅行書」もすさまじい。
日本人の観光目的の海外旅行が解禁されたのは1964年、旅行自由化は1966年。当初は富裕層中心だった海外旅行だったが、1970年代に入ると一気に大衆化する。
それを加速させたのは、ジャルパックなどから始まった日本特有の団体旅行である。日本人の戦後初のパッケージツアーは1965年、渡航先はハワイである。
一方、日本人による韓国旅行は1965年の日韓国交正常化をもって始まる。1965年には年間約5000名だった日本人観光客が、翌年には約2万人、1972年には20万人を突破、1973年には40万人を超えている。梨花女子大の学生が「キーセン観光反対」のプラカードを持って空港に立ったのはこの頃である。
当時の「旅行書」を見ると、日本人観光客が韓国旅行に何を求めていたのかがよくわかる。
たとえば『東南アジアひとりある記:韓国からシンガポールまで』(平岩道夫1969年)の第1章は韓国であり、そのほとんどは「夜の楽しみ」に関する記述である。
「楽しいキーセン・パーティー」「礼儀正しいキーセン達」「韓国よいとこ“男性天国”」……。 露骨な見出しが続く中、なかでも驚いたのは、「日本の旅行者が女の値段を釣り上げる」という見出しの部分にあった裸の女性の写真である。
同じページには以下のような記述がある。
「『どんな美人でも、最高5000ウォン以上は絶対にやらないでほしい』と地元観光業者の言葉。『それでなくても日本人旅行者は“女の値段”を釣り上げてしまう』そうだ」(『東南アジアひとりある記』p31)
この本は1969年の出版であり、70年代に始まる「第1次韓国旅行ブーム」直前のものである。その後、団体旅行が始まると「女の値段」は管理されていく。
この仕組みについては、『キーセン観光実態報告書』に詳しく書かれている。
簡単に言えば、日本の旅行会社が観光客を募集するにあたり、韓国内のインバウンド旅行社が競争入札という形で価格設定をする。競争によって価格破壊が発生し、その赤字をキーセン・パーティーやホテルからの「手数料」(コミッションやバックマージン)で埋め合わせる。こうして旅行価格が安くなることによって、海外旅行でありながら韓国旅行のハードルは一気に下がった。
それによって始まったのが「爆買い」である。この場合のショッピング対象は女性である。それを見る、韓国側の目は冷ややかだった。
「主にキーセン観光を楽しみに来る日本人は、自分の国では最下層の労働者です。彼らが我が国に来てキーセンパーティーをし、二泊三日の旅行をして必要な金は、日本でかかる費用の5分の1しかかからないんです」(済州島の料亭の人)
「この人たちの程度はひとくちで言って、自分の国ではホテルというところに出入りしたことのない人が大勢いる。例をあげると、エレベーターの動かし方を知らないかと思えば、洗面所の洗面設備の使い方も知らないのでいちいち教えてやり、寝間着姿で廊下をうろついたり、廊下を靴を脱いで裸足で歩く」(釜山のホテル従業員)
労働者や農民という階層表現には一瞬ギョッとするが、その後の「農協の農民や工場のボーナス・ツアー」という文章を読むと合点が行く。つまり「慰安旅行」のことなのだ。
本来は社員や組合員相互の親睦を深めるための団体旅行だが、男性のみの場合は旅先の風俗店で遊ぶという定番のスタイルがあった。
過去にはそちらで名をはせた国内の温泉地も少なくないが、それを海外である韓国でも、そのまま実行したというわけだ。
それにしても、日本で「慰安」という言葉の使われ方は淫靡だ。
『報告書』には過去の「従軍慰安婦」を念頭にした、「新版女子挺身隊」という言葉も登場する。韓国ではずっと以前から「慰安婦」と「挺身隊」という言葉に混同があったが、「キーセン観光」が始まった1970年代は、まだ日本の統治の記憶が生々しかった時代である。
日本のガイドブックは一様に「韓国は日本語が通じるので安心」と嬉しそうに書いているが、それはむしろ、当時の韓国人の多くが、「つい最近まで日本人だった」のであり、「その時の記憶をしっかり持っている」ということである。
1970年代の韓国はまだ貧しく、大多数の国民は日々を生きるのに必死だった。さらに性的産業に従事する者への偏見もすさまじく、今のような「慰安婦」についての国民世論を形成することはなかった。
しかし、女子大生やインテリ女性たちが、当時の「キーセン観光」を過去の「従軍慰安婦」と結びつけたとしても、それは至極当然のことだろう。
戦後、日本の女性ジャーナリストとして初めて本格的に韓国現地の取材をした佐藤早苗の『誰も書かなかった韓国』(1974年)は、「『女子挺身隊』という名の慰安婦」という項目の最後を、次のように締めくくっている。
「彼女たちはたいてい五十二、三歳になっているが、決して過去を語ろうとしない。どこかでひっそりと、キーセン遊びなどに興ずる日本人観光客たちをみすえているはずである」
戦後、日本人による最初の韓国旅行ブームをこの「キーセン観光時代」とするなら、第2期はソウル・オリンピック(1988)から始まる90年代で、韓国料理や民族音楽などの文化への関心も高まり、女性も韓国旅行をするようになった。
そして第3期がサッカーW杯の共同開催(2002)と「冬ソナブーム」(2004)を起点とする、いわゆる「韓流」の時代である。
私自身が直接韓国旅行関係の仕事にかかわったのは2期と3期、女性観光客向けの観光コンテンツのリサーチ、取材をしていた。面白かったのは日本女性が増えることによって、男性たちが撤退せざるを得なかったことだ。
90年代半ば、韓流ブームはまだ先の話だったが、アカスリや韓国料理目当ての女性観光客が増え始めていた。
私の母が友人とパッケージ旅行で韓国にやってきたとき、ソウル市内を移動中にワゴン車の中で、同乗の男性客たちと大げんかになった。
男性たちは「昨夜の話」をヒソヒソしていたのだが、それがだんだん露骨になっていき、とても気分が悪くなったという。ガイドの若い韓国女性も明らかに嫌そうな顔をしていた。そこで、母は友人に向かって、わざと聞こえるような声で言ったそうだ。
「嫌よねえ~。若い女性の前で」
「若い女性なんかいませんよ」
男は小さい声で言ったと思うのだが、母の耳はある周波には敏感だ。しかも、当時はいろいろ別のストレスも溜まっていた。
「あらあらあら、私達のことじゃないですよねえ。ガイドさんに聞こえているということ。説明も聞かずに、女の話ばかりして」
10ばかり年下の男性たちに向かって、母と友人は「日本の恥」「国賊」とか大騒ぎしたらしい。
この頃から「男性天国」とも言い難くなった韓国旅行は、その後に韓流ブームを機に女性客が急増、2008年にはついにビジネス関係者を含めた全体の男女比も逆転する。
女性客の中には母娘という組み合わせも増え、それぞれが好みの韓流スターに熱を上げる。それを見ながら思った――「韓流はリベンジだ!」。彼女たちはまさに、70~80年代に「キーセン観光」を謳歌していた日本人男性の、妻と娘たちの世代だったからだ。
韓国旅行に行くのを家族には九州出張と嘘をついていたお父さん。羽田の免税店では韓国の愛人のためにブランド品を買い、妻には南大門市場でコピー商品を買っていたご主人。卑屈だった夫たちとは違い、妻たちは堂々と夫を家に残し、韓流スターのファンミーティングに出かけた。
さらに女性たちの中には、旅行代理店のセットしたツアーを好まず、自ら得たネット情報を元に個性豊かな旅行を始めていた。日本人の韓国旅行の形が変わる。これから面白くなるかもしれない。>(伊東順子「韓国 現地からの報告」)