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2016年10月16日

江口の遊女

道草百人一首・その94
「難波江の 芦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき」(皇嘉門院別当)【88番】

江口の遊女

 かって、淀川両岸は渡船で結ばれていた。幼少の頃、祖母に連れられて渡し船に乗り、淀川の対岸へ渡ったことがある。ヨモギを取っただけの野原。後に気がついたが、その一帯は「江口」と呼ばれ、古代から近世にかけての水上交通の要所だった。旅人で賑わい「遊女の里」としても知られた。西行と遊女との歌問答は、観阿弥の謡曲「江口」の題材となる。この歌の舞台は、その「江口」。遊女の立場に自分を置き、はかない恋を謳ったもの。
 淀川の河口近い難波の入江では、秋ごとに芦を根元から刈る。その風景の見えるここ江口の里。気まぐれに立ち寄って私との仮寝の一夜を過ごしたにすぎないあなたのことが忘れられず、舟路を示して波に浮き沈みするあの澪標(ミオツクシ)さながら、この身が尽きるまであなたを恋いつづけることになるのでしょうか。
 皇嘉門院別当(コウカモンインベットウ)。源俊隆(トシタカ)の娘で崇徳院皇后に仕えた女房。後に出家して尼となる。貴族社会。宮廷に仕える女性の遊女への深い共感。その意味するものは何なのか。