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2016年06月11日

時計を止めて

道草百人一首・その77
「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき あさぼらけかな」(藤原道信朝臣)【52番】

時計を止めて

 「ずっと一緒にいたいのに、夜明けが来れば帰らなくてはならない。また日が暮れて夜が来て、再会できることは分かっているのだけれど、それでも恨めしいのは夜明けの光だ」。男が女の元に通うのが、平安貴族たちの恋愛形式。その後に贈ったのが「後朝(キヌギヌ)の歌」。この歌も「女のもとより雪降りはべる日帰りてつかわしける」とある。
 藤原道信朝臣(ミチノブアソン)。藤原為光(タメミツ)の3男。母は謙徳公(45番、哀れともいふべき人はおもほえで)の娘。道信は、藤原兼家(カネイエ)の養子となり左近中将にまで昇進するも、22歳の若さで夭折。
 なお、兼家の妻が「蜻蛉日記」を書いた「道綱の母」。兼家と別の妻との間にできた子が「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と権勢を極めた藤原道長。栄華と没落の微妙なポジション。
 「明けぬれば 暮るるものとは 知りながら」。シンプルでストレートな感情表現。「若々しさ」の真っただ中。彼の人生にも、残酷な時が刻まれていく。