2020年09月09日
韓国で暮らして大丈夫?
「韓国で暮らして大丈夫? みんな反日で怖くない?」
「子供たちは大丈夫? 韓国の学校でいじめられていない?」
「現地の様々な声や個々の暮らしぶりは、興奮したマスメディアをなだめるのに、多少なりとも力を発揮するのではないかと思う。現地発のコラムを定期的に書こうと思った」
1990年に訪韓し韓国で生活する伊東順子さん。記事の一部を紹介してみたい。
<日本での「茶髪(強制黒染め問題)」は海外ニュースでも配信された。世界の名だたるジャーナリズムが「特殊な日本の校則」に言及し、ネット上にはそれに対する各国の人々の反応も紹介された。
韓国の学校には、そのような校則はない。これをツイッターで発信したら、びっくりするような反響があった。日本ではそれはあまり知られていなかったようなのだ。
「むしろ、韓国のほうが厳しいと思っていたのに……」
残念ながら、それは違う。韓国の中高生の髪型は自由だし、服装に関しても大幅な自由が認められている。茶髪、化粧、超ミニのスカート。昨年、取材した中学校の日韓交流の場で、そんな韓国の中学生を見た日本の生徒たちは驚いた。
「不良の学校なの?」
しかし、相手はソウルの江南にある超エリート校であり、将来、その中の何人かは国際機関で働いたり、政府や企業のリーダー的存在になる。不良どころか、学業も優秀で日本訪問の代表に選ばれた生徒たちなのである。
そんな韓国の中学生から見た、日本の生徒たちはどうだろう? 髪の毛の長さ、スカートの丈、靴下の色も決まっている。化粧やピアスなどもってのほかだ。
たしかに、昔の韓国の学生は日本と同じく、あるいはもっと厳しい校則に縛られていた。しかも違反したら、鉄拳制裁。日本の高校生が化粧にルーズソックスなんてやっていた時代、韓国の女の子たちはガチガチの校則の中にいて、まったく「イケてなかった」。
「なんで女子大生はピカピカなのに、女子高生はアレなんでしょう?」
在韓日本人の間でも、よく話題になった。それが劇的に変化したのは2010年代に入ってから。契機となったのは「学生人権条例」だった。
学生人権条例が最初に施行されたのは、ソウルの隣にある京畿道だった。それが光州市など他の地方自治体にも波及し、2012年1月には首都ソウル特別市も同条例を交付するにいたる。
「条例には、児童・生徒に対する体罰の全面禁止、頭髪や服装の自由、校内集会の許容、持ち物検査や没収の禁止などの内容が盛り込まれており、ソウル地域の幼稚園と小中高校ではかなりの変化が起きることが予想されます」(KBSニュース)
ただ、この時点で、条例の実効性に対して、世論は懐疑的でもあった。というのは、政府与党(当時は李明博大統領)は条例に反対の立場から、大法院に「条例無効確認訴訟」を起こしており、その結果が出るまで教育現場は、はっきりとした態度を示さないともみられていた。しかし、いざ蓋を開けてみると、変化は劇的だった。
「頭髪や服装の自由化などをうたったソウル学生人権条例が先月26日発効して以来、初めの新学期を迎える学校の風景は、以前とは様代わりしていた。新学期初日の2日、ソウル市江北区のある高校の生徒たちが染めたりパーマーをかけた髪に、短い制服スカートを着ているなど、破格的な姿で登校している」
どちらかといえば、条例に反対したり、急激な変化に躊躇する一部の教師や保護者を尻目に、生徒たちは積極的だった。それもそのはず、そもそも条例は生徒たちが望んだものであり、また学校のルール作りに自らが参加できる仕組みを持つものだったからだ。
以前の韓国では教師の体罰は日常的に行われていた。殴る、蹴る、立たせる、座らせる、走らせる……。半ば公然化した体罰は、民主化した韓国社会には不似合いな、前時代的なものとして常に議論の対象になってきた。多くの自治体では、教育委員会の方針として、各学校に体罰禁止を通達していたが、それが条例として文字通り明文化されたわけだ。
また条例は服装や髪型等についても、学校である以上は最低限のルールは必要であるとしつつ、生徒たちの自律的な意見を尊重しようとした。例えば、校則の制定にあたっては、以前のように学校が一方的に決めるのではなく、生徒の投票など「民主的な方法」が採用されたのである。
以前より感じていたことだが、どうも日本では、韓国の情報に関しては更新が遅れている。これはいわゆる「嫌韓な人々」にかぎらないようで、おそらく責任はメディアにある。現地特派員や在住者の生の声よりも、日本にいる「有名人」の意見が珍重されることが多いからだろう。
「私は、韓国人に生まれなくて本当に良かったと思う。韓国は過酷な競争社会である。大学の受験戦争、就職難、結婚難、老後の不安、OECDの中で最も高い自殺率……。加えて男性が虐げられた社会である(女性はそうは思わないかもしれないが、男性にとって悲しい現実)」
元駐韓大使で『韓国人に生まれなくて良かった』の著者である武藤正敏さんは、このようにおっしゃる。確かに、彼のような元外交官クラスの「エリート層」で比較すると、日本の方が「楽ちん」かもしれない。大学までストレートの一貫校はあるし、授業料や寄付金がバカ高い私大医学部も実質的には富裕層御用達、また帰国子女入試なども、見方によれば、海外勤務者子弟の特権である。
韓国は日本のような、特定の階層に有利なシステムはない。富裕層だろうが、エリートの家庭だろうが、過酷な受験戦争に揉まれる。そこで一部の富裕層は専用の「正門」を求めて海外に出るか、国内で「裏口」を探す。朴槿恵元大統領の弾劾の原因となった、親友チェ・スンシルには多くの疑惑があるが、中でも国民的な怒りを買ったのは娘の不正入学問題だった。韓国人は教育問題における不公平に対しては、他の何よりも厳しい。それは科挙制度を伝統にもつ国にとって、もっとも大切なモラルなのである。
「でも日本には、勉強以外の選択肢もある」「韓国みたいな大企業志向でなくても、日本は中小企業でもいい会社はいっぱいあるし」「韓国は老舗がない国。でも日本には親の店を継ぐという選択もある」
中小企業どころか、大企業がつぶれていく、今の日本。老舗と言われようが、自営業など子供に継がせられないという現実。それどころではない。先週、「高校生20人に1人、家族を介護 学校も知らず、支援課題」という記事もみた。
「今の韓国は若者にとって生きづらい」と心配している場合ではないのではないか。
日本のオジサンたちの心配をよそに、最近の韓国では日本の先を行くことも多い。学生人権条例もおそらくその一つだろう。韓国の学生人権条例ではヘイトスピーチを禁じたり、マイノリティーへの差別を禁じる条項を加えるという。
今、韓国の政治はとても混乱している。それぞれの正しさが対立し、正しさ同士が戦い、正しさが共倒れする。でも、そんな「正解がない時代」は、実は私が待っていた時代かもしれないとも思う。一人ひとりが自分の頭で考えて、行動することが大切な時代。韓国の人たちも、今、そうしなければいけないと思っている。
世界中が混迷する時代、かつてのように米国や日本にお手本があるわけでもない。大統領も一般国民も悩みながら、手探りしながら、頑張って前進しようとしている。>
伊東順子さんの著書に次のようなレビューが寄せられていた。
「韓国に長く暮らしている者にとっては、この著者の書いていることは、まさに実感です。一年いや、一ヶ月ごとにくるくる変わる韓国社会ですが、やはり外国人にとっては暮らしやすくなっています。
最近の韓国関連本は感情的・攻撃的なものが多くてうんざりします。著者の落ち着いた視線にほっとしました」
Posted by biwap at 16:06
│KOREAへの関心